今日は、“事実”と“解釈”の違いについて
簡単に書いていきたいと思います。
たとえば、指原莉乃さんのモバメが
2017年になってから今日(2017年1月8日22時22分現在)まで
1通も送られてきていない。
これは“事実”です。
でも、これに対し、
『他のメンバーみたいにもっと送ってくるべき』とかは
自分の基準や、“自分なりの解釈”、
自分の価値観などを通じた“主観”で
判断している“偏見”なんですね、実は…。
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たとえば、僕が今日Aさんに
プレゼントを贈ったとしましょう。
僕が今日Aさんに
プレゼントを贈ったのは“事実”です。
それと、僕が今日Aさんにはプレゼントを贈ったが、
BさんやCさんには今日プレゼントを贈っていない。
これも、また“事実”です。
でも、その事実を見て、ある人が、
「Aさんにプレゼントを贈ったのなら、
BさんやCさんにもあげるべき」とかは
その人の主観であり、
“事実”を扱っていません。
“事実”を通じた自分の基準(ものさし)で物事を
判断しているだけです。
『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』
ニーチェ
これは、ドイツの哲学者、ニーチェ氏の名言でありますが、
私は、“事実”というのは存在していると言い切ります。
たとえば、私がこのブログをアップする前の記事は、
2017年1月1日にアップした
「新年明けましておめでとうございます」という記事である。
これは、まぎれもなく“事実”です。
しかし、人間は、その“事実”を通じて
自分なりの基準や価値観、考え方、感情などという
色眼鏡(フィルター)で物事を見てしまいがちなんです。
たとえば、青色のレンズで世の中を見渡せば
すべてが青色の世界に見え、
赤色のレンズで世の中を見渡せば
すべてが赤色の世界に見えてしまうように、
自分なりの価値観や考え方、感情などという
色眼鏡(フィルター)で世の中を見渡してしまえば、
自分の基準で見た歪んだ世界を
まるで自分の見方が正しいと思い込んでしまう危険性が
あるということです。
ニーチェ氏が
『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』と
自論を述べたのは
その人のフィルターや色眼鏡で判断していることがほとんどで、
事実を扱っている人がほとんど存在していないことを
述べたのではないかと私は推測しております。
『あなたはその相手に対して腹を立てているのではない。
ただあなたの規則に反応しているだけだ。』
アンソニー・ロビンズ氏
『あなたが誰かに対して腹を立てた原因は、
あなたの怒りの価値観によるものなのである。』
アンソニー・ロビンズ氏
この2つはアンソニー・ロビンズ氏の名言であるが、
“事実”と“自分なりの解釈”、
“事実”と“自分なりの価値観”、
“事実”と“自分なりの基準”、
“事実”と“自分なりの規則”、
“事実”と“自分なりの考え方”、
“事実”と“自分なりの感情”
“事実”と“自分の偏見”など、
自分の色眼鏡(フィルター)を認知し、
“事実”と“事実以外”を切り分けて見れる人は
すごく冷静に物事を見れるはずです。
なぜなら、怒る理由がなくなるからです。
ところが、“事実”と“事実以外”を
混同している人がほとんどの世の中で、
さらに厄介なのが、
自分の基準で見た歪んだ世界を
まるで自分の見方が正しいと思い込んだことを、
言いふらす人もいることです。
さて、今日の最後は
中傷に対する最上の弁明は真実である
エイブラハム・リンカーン(1809 ~ 1865)
第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、
1809年にケンタッキー州で生まれた。
学校へ通う機会はほとんどなく、
正式な教育を受けるようになったのは、
22歳で父の元を離れ、
ニューセーラムという町に転居して
雑貨店を経営し始めてからだった。その後、測量技師、郵便局長なども務めながら
法律の勉強を続け、
1837年にイリノイ州の州都スプリングフィールドで開業した。1846年に下院議員に当選すると、
当時行われていたアメリカ・メキシコ戦争を批判した。また同時に、奴隷解放の段階的実現を提案。
これらの行動は注目を集めたものの、
選挙民には概ね不評で、再選はできなかった。1856年の上院議員選にも敗れたリンカーンだったが、
1860年に共和党大統領候補の指名を受けることに成功し、
大統領に当選。だが、奴隷解放に反対する南部が連邦を離脱し、
南北戦争に突入してしまう。戦いに勝利したリンカーンは1864年に
大統領に再選されたが、その翌年、
演劇鑑賞中に南部出身の俳優ブースに暗殺されたのである。リンカーンは、合衆国の分裂を防いだ
最もすぐれた大統領として尊敬されている。なぜこのような立派な人物が
暗殺されなければならなかったのか。それは、悪しき中傷によるものだ。
中傷というのは、まことに始末が悪い。
明確な情報や証拠がまったくなくても、
どこからともなく湧き上がり、
それが知らぬ間に広がっていく。一般的な中傷やデマに対しては、
法的処置で対抗することが多いが、
即効性に乏しく、打ち消す効果はあまりない。暗殺者のブースは銃を発射するときに
「暴君はかくの如し」と叫んだといわれるが、
その考えを打ち消すために法律は
なんの役にもたたなかったはずだ。こんなときに有効なのが、
リンカーンの言葉通り、
真実を見せることだろう。自分が暴君でないこと、
奴隷解放が正しいことを人々に示し、
それを理解してもらう―――リンカーンはこれを実践していたが、
志半ばで倒れた。暗殺者のブースも、
時間をかけてリンカーンの行動を見続けていれば、
彼が暴君などでないことはわかったはずだ。※『心を強くする指導者の言葉』より引用
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