私は、3月7日の夜に

朝日カルチャーセンター新宿教室において行われた

【新設】ニーチェ、あるいは常識を撹乱する哲学 』を

受講してきました。


(写真:朝日カルチャー・新宿教室のチラシより)

講師は政治社会学者の堀内進之介氏と

アイドルの須藤凜々花氏。

 

まずは、講師のお二人に

ありがとうございました、と

お伝えしたいです。

広告

さて、僕ははっきり言って

ニーチェ氏のお名前は存じ上げているのですが、

どういう功績を残した人かは

正直よく知りません(笑)

 

ただ今回、須藤凜々花氏が講座の中で

ニーチェ氏についていろいろ話してくれたので

少しは理解することができました。

 

そしてニーチェ愛好家である須藤凜々花氏の

ニーチェ氏の話を聴いていくと、

 

ニーチェ氏はエニアグラムのタイプ4が

強く反応する感じを私は受けました。

 

で、エニアグラムについて知らない方は

直近では『President Trump needs to read Enneagram’s Type8!!

《subtitle》指原莉乃さんを見習おう 』というタイトルで

私はブログを書いています⇒こちら

 

そしてエニアグラムのタイプ4とは

簡単に書くと

《タイプ4》 特別な存在であろうとする人

 

上品さと優雅さ、

ユニークな表現力と繊細な感性をもった、

魅力的な人柄です。

 

他の誰も真似のできない独創性を

発揮しようとする意欲に満ちています。

 

その表現力は芸術的とも言えるレベルで、

実際に文学や芸術の世界で活躍する人が

多いのもタイプ4の特色です。

 

ロマンチックな思い、

ドラマチックな表現が持ち味で、

それに触れる多くの人々に

好ましい刺激を与えます。

 

その一方で心の傷ついた人々への同情心に厚く、

辛抱強くそうした人々を支える優しさも

備えています。

 

ただしタイプ4は、

ユニークさや創造性、

感動を重視するあまり、

平凡な現実を受け容れることが苦手で、

現状に満足できないと自尊心を傷つけられ、

引きこもりの状態になり、

自分にはかなえられない夢を実現した人々に、

嫉妬や羨望を抱く傾向があります。

※『「9つの性格」人間判断法―エニアグラム活用術 (講談社プラスアルファ文庫)』より引用

 

◆根源的恐れ:アイデンティティや個人的存在意義がないこと。

◆根源的欲求:自分自身とその存在意義を見つけること。

内面の体験に基づいて、アイデンティティをつくること。

※『エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)』より引用

もしニーチェ氏がタイプ4だとしたら

まるでニーチェ氏について書いてあるようだと

感じる部分があるかもしれません!?

 

さて、講座の中で須藤凜々花氏が

ニーチェ氏の話として、

大きなことに反抗する(だったっけかな?)、

元からあった考えに、疑うこと、

という行動原理は

大衆と違うことに気づける自分は

特別な存在になりうるからではないでしょうか!?

 

輪廻転生と言われる中、

前世も、来世もない、

あるのは現世だけだ、

というニーチェ氏の発想も

大衆と違うことを言うことによって

特別な存在になろうとした発想かもしれません!?

 

また、ニーチェ氏のエピソードとして

恋愛は良いが、結婚はディスっている(ディスリスペクト)。

 

これはタイプ4の

自分にはかなえられない夢を実現した人々に、

嫉妬や羨望を抱く傾向から出てきている言葉ではないでしょうか!?

 

というように、

須藤凜々花氏が語るニーチェ像を

聴けば聴くほど

タイプ4の精神構造から出てきた言動と

私には感じられました。

 

さて、須藤凜々花氏は

自分がニーチェ氏を超えるためには…、として

“女の目線”と“リア充の目線”を挙げていました。

 

私は須藤凜々花氏がニーチェ氏を超えるための

プラン(提案)としては、

『ニーチェ敗れたり』という本を書き、

ニーチェ氏の言動はこういう精神構造から出てきただけだ、と

ニーチェ氏を論破することで

ニーチェ氏を超える。

 

もう1つはニーチェ氏のセンスを身につけ

ニーチェ氏と同等、

もしくはそれを超えるものを世に出す。

でも須藤凜々花氏にはちょっと難しい。

 

というのも、たとえば講座の中で、

結婚を控え、夫婦別姓の話題になったときに、

須藤凜々花氏は

『大好きな彼の名字を名乗れるのは嬉しい』という

発言をしていましたが、

これは、ある意味、平凡を受け入れちゃっているとも

言えるからです。

 

たとえばニーチェ(タイプ4)的発想ならば、

たとえば、須藤凜々花氏の彼が

堀内進之介氏だとします。

 

須藤凜々花氏は結婚するにあたり、

大好きな大好きな彼(堀内姓)の名字を名乗って

堀内凜々花になれる。

逆に相手の堀内進之介氏は

大好きな大好きな彼女(須藤姓)の名字を名乗って

須藤進之介になれる。

こういう夫婦別姓になりたいとか、

こういう夫婦別姓があってもいいと主張する。

 

これって独創的な発想であり、

こういう発想ができる自分って

特別な存在になり得ませんか!?

 

でも須藤凜々花氏は平凡(当たり前)を

受け入れちゃっているところに

ニーチェ的センスがないとも私には感じられました。

 

ただニーチェ氏に強く反応しているところを見ると、

タイプ4と何らかのつながりがあるようにも思えることは

確かかもしれません(今はまだ希望は微かに見える程度)。

広告

そして須藤凜々花氏がニーチェ氏のエピソードで

『ニーチェ(自分)を真似るな。もっと外に出て色々なものに触れ合え』

みたいな話をしていましたが、

須藤凜々花氏はニーチェ氏の本を読んで

冷たい言い方をするとニーチェ氏の言動を真似ているだけです。

 

ある新聞の見出しで

(いつの、どの新聞だったかは忘れてしまいましたが)、

『真似る凡人、盗む偉人』という言葉がありましたが、

須藤凜々花氏がニーチェ氏と同等、

もしくはニーチェ氏を超える存在になりたいのなら

ニーチェ氏の言動を真似るのではなくて、

ニーチェ氏のセンスを身につけることが必要となります。

 

たとえばお笑い芸人さんは

常識を知って、非常識なことを言うから

笑いが起きるのと、同じように、

ニーチェ氏と同等、

もしくはニーチェ氏を超えたいのなら

平凡さ(当たり前)を受け入れないセンスが

独創的なアイデアや発想につながると思っています。

(ただ、これも善し悪しがあって後日触れたいと思います)

 

ただ、須藤凜々花氏は平凡さを受け入れているところから

タイプ4の本家ではないので、

(ニーチェ氏に対抗するには)センスを磨く必要があると

私は感じています。

 

これに付随して

いろいろ書きたい内容もあったのですが、

今日は長くなったので

割愛させていただきますが、

後日、そこら辺に触れたブログも書きたいと思います。

(その際はこの記事にもリンク先を表示したいと思います)

 

さて、講座の中で

私の質問について

名前は伏せられていましたが

私をディスっていただきありがとうと言いたい。

 

では、たとえば、グーグル先生に

“哲学とは”で引くと


(写真:グーグルの検索サイトより)

このように出てきます。

 

僕が言いたいのは、

たとえばナポレオン・ヒル氏の成功哲学などは前者で

僕はここを指していました。

そしてニーチェ氏の哲学は後者というのが

堀内進之介氏の言い分。

 

確かに…とは私も思う。

 

でも、前者でも、後者でも、同じなのは、

問いを立て、考えて出した自分なりの結論と

言うのかな!?

そういうものがあると思います。

 

しかし、須藤凜々花氏が

ファンとのやりとりなどを見ていると

論理的思考になっていないように感じていて、

僕の仮説として彼女の頭の中で混線しているのかな!?

と思っていました。

 

しかし、この講座で90分、

須藤凜々花氏を知る機会が得られ、

出た結論は、

堀内進之介氏が『哲学とは問いを立てること』と言ったように、

須藤凜々花氏はたとえば堀内進之介氏から

「(須藤凜々花にとって)人生とは?」と振られても

言葉に詰まったように

つねに問いを立てていない、考えていないから、

表現するのが難しい。

哲学者になりたいとは言うものの

哲学者としての行動を起こせていない。

このままではニーチェ愛好家で終わってしまう危惧から

エッジの効いたこと(質問)を書いたつもりです。

考えることは、強くなること。

昨年、日本で公開された劇映画『ハンナ・アーレント』。

 

ハイデガーに師事する優れた哲学者でありながら、

ドイツ系ユダヤ人であったがためにナチス台頭により

アメリカへの亡命を余儀なくされたアーレントは、

戦後、ナチスの戦犯アイヒマンの裁判を傍聴します。

 

「自分は命令に従っただけ」という

アイヒマンの弁明を聞いたアーレントは、

彼は「凶暴な怪物」ではなく

「凡庸な人間」にすぎないという論考を発表、

ナチス擁護ではないかと激しい非難を浴びます。

 

それでもアーレントは、

「アイヒマンは考えることをやめた。

考えることをやめた人間は人間でなくなる。

私は人間が考えることで強くなることを望む」という信念を

語り続けました。

 

考えることは、

時に社会の空気や通念に抗うことでもあります。

 

「危機的状況にあっても、

考え抜くことで破滅に至らぬように」という

アーレントの言葉は、

まるで現在の世界に対する警鐘のように

聞こえないでしょうか。

 

新潮選書は「考えるヒント」が並ぶ

本棚でありたいと思っています。

 

※『新潮選書 フェア2014』フリーペーパーより引用

須藤凜々花氏が哲学者になりたいのなら、

問いを立て、考えることだと僕は思うのです。

 

それと堀内進之介氏は講座の中で

『哲学とは、何かの問いを立てる。

答えを出すものではない』と仰り、

先ほどのスクショの中の後者を指す表現と思われるが、

 

『経験からつくりあげた人生観』は

僕からすると個人的価値観の部類に入り、

それを哲学と呼ぶのなら、

すべての人が哲学者のような感じがしてならない今日この頃であります。

広告