昨日より公開され、絶賛公開中の
映画『パパはわるものチャンピオン』
この映画は以前他の映画の上映前の予告編で知って
ぜひ観ておきたい映画として上映される日を
待ち遠しく楽しみにしていました。
そんな折、舞台挨拶が付いたチケットの抽選に当たって
今日ユナイテッド・シネマ豊洲まで
行ってきました。
映画はまだ公開2日目なので
あまり内容は書きませんが、
格好いいと思っていたお父さんが
実は悪役レスラーだったことが分かり、
そこから親子の葛藤が始まり、
特に幼い大村祥太(寺田心さん)くんの
揺れ動く感情が絶妙に描かれており、
また父親の大村孝志(棚橋弘至さん)さんの生き様にも感動。
涙腺の弱い僕は涙、涙の連続の映画となりました。
そして上映後は舞台挨拶にご登壇されました
棚橋弘至さん、木村佳乃さん、寺田心さん、
高橋優さん、監督の藤村享平さん(順不同)、
映画の裏話など楽しいトークを
ありがとうございました。
ぜひ多くの人に僕としては
観てもらいたい映画です。
さて僕らが小さいころにプロレスブームがあり、
そのころ全日本プロレスでは
悪役レスラーとして登場したのが
黒い呪術師と呼ばれたアブドーラ・ザ・ブッチャー選手、
アラビアの怪人、ザ・シーク選手など…。
そして新日本プロレスでは
インドの猛虎と呼ばれた
タイガー・ジェット・シン選手などがいました。
そしてたとえばタッグマッチで
悪役レスラーの一人がレフリーの気を引き、
レフリーの目が離れた隙に
もう一人の悪役レスラーが凶器を使って行動、
それを観ている子供たちが
たとえば全日本プロレスでは
レフリーのジョー樋口さんに
『凶器を使っているよ』と叫んでも、
ジョー樋口さんがチェックするときは
凶器は隠されており
『なんで凶器を見つけて取り上げてくれないんだよ』と叫びながら
子どもたちは熱狂したものでした。
まさに今回の映画の子どもたちも
悪役レスラーにブーイングをしていたのと同じように…。
実は僕が最近思うことはプロレスに
悪役レスラーは必要だったということなんです。
ああいう悪役レスラーのプレーを見て
『ああいう悪い事をやっちゃダメなんだ』と
良心に問う機会があったからだと感じてきていますので…。
実は道徳とは、
良心に問うための軸を作ることなんです。
簡単に書いてしまいますと…。
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さて、現在の僕はプロレスを観る機会がなかなか無くて、
いまのプロレス界に悪役レスラーがいるのかは
定かではありませんが、
たとえば『それでも夜は明ける』という映画がありました。
この映画を映画館で観たときに、
あまりにもむごい仕打ちの連続で
見ていられなくなり
席を立ちたいと何度思ったことか…。
たぶん日本だったら
この映画は作れなかったと思うんです。
それは犯罪を増長する、
模倣犯が生まれる映画になるという抗議で…。
でもアメリカは作れちゃう、
やはりそれは、これを見た多くの人が
二度とこんな社会を作ってはダメだ!と
気持ちを新たにする機会にもなれるから…。
そこがアメリカのスケールの大きさだとも思うんです。
ただ、いまの日本に突然
こういう『それでも夜は明ける』のような映画を作っても、
バーチャルとリアルの区別ができない日本人が
多くなってきているので、
そういう状態の中で作れば
『映画の中でもやっているんだから、
現実社会でもやっていいんだ』となりそうだから
作るのは無理になってきているのが現状でしょうが…。
昭和の時代でしたら
月光仮面や仮面ライダー、ウルトラマンなどの正義もの、
水戸黄門や長崎犯科帳などの時代劇など、
バーチャルの世界で
正義感を育てる番組があった時代の中でしたら
作れたのでしょうが、
今の日本はバーチャルの世界も
無菌状態のクリーンを作ろうとし過ぎていて、
良心へ問いかける機会がないところに
突然作っても製作者の意図は伝わらないと思うから…。
ここで誤解して欲しくないのは、
現実の社会では犯罪は起きて欲しくない。
でも映画や興行(ショー)など表現の場では
良心へ問いかけるための悪役の登場も有りと
私は言っているに過ぎません。
決して現実の世界で悪役が必要とは
言ってはいませんので、
誤解がないようにお願い致します。
今日は映画『パパはわるものチャンピオン』とリンクして、
良心へ問いかける機会を作る場として
悪役レスラーは役割として必要だったんだということについて
書いてみました。
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