今日はまず2012年1月17日、

朝日新聞夕刊に掲載された詩を

引用し、紹介させていただきます。

最後だとわかっていたなら

(作/ノーマ・コーネット・マレック)
(訳/佐川睦  サンクチュアリ出版)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは、もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるのかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

(2012年1月17日、朝日新聞夕刊より引用)

僕は以前にも書きましたが、

私は過去に死んでいてもおかしくない局面を

何回も経験し、何とか切り抜けて今日まで

生きている(生かされている)こと、

そして先輩や後輩のある日突然の死に直面させられた経験などから、

人との別れは本当に突然訪れてしまうものというのを

肌で感じていて、

そういう経験から僕は後悔がない人生を送るために

一瞬一瞬を大切に生きて&行動するようになりました。

折々のことば 鷲田清一 673

最後にかわした言葉が心残りだった、
ということにならないように

田部井淳子

見るのはもうこれが最後かもしれないと思うと、
その姿がとても愛(いと)おしくなる。

死を意識することは、
人や生き物にていねいに向き合う態度を
養ってくれるのだろう。

つねに死と隣り合わせでいた登山家だからこそ、
家族がどこかに出かけるときも、
まさかの事故のため、
その日の服装をしかと脳裏に
焼き付けるようにしてきたという。
「それでもわたしは山に登る」から。

(朝日新聞2017年2月21日より引用)

 

みなさんは一瞬一瞬を大切に生きていますか?

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