もうすぐクリスマスですね♪

今週はクリスマス・ウィークということで
今日はクリスマス・キャロルから
学んでみたいと思います。

さて『クリスマス・キャロル』(原題:A Christmas Carol)は、
英国の文豪チャールズ・ディケンズ氏の中編小説で
英語圏では知らぬ者はいないと言われるぐらい
有名なクリスマス物語の古典的な作品で
1843年12月に出版されています。

物語の概要については
Wikipediaより引用させていただきます

作品の主人公は、エベネーザ・スクルージという
初老の商人で、冷酷無慈悲、エゴイスト、守銭奴、
人間の心の暖かみや愛情などとは
まったく無縁の日々を送っている人物である。

ロンドンの下町近くに
スクルージ&マーレイ商会という事務所を構え、
薄給で書記のボブ・クラチットを雇用し、
血も涙もない、強欲で、金儲け一筋の商売を続け、
隣人からも、取引相手の商人たちからも
蛇蝎のごとく嫌われている。

7年前の共同経営者である
ジェイコブ・マーレイの葬儀においても、
彼への布施を渋り、またまぶたの上に置かれた
冥銭を持ち去るほどであった。

明日はクリスマスという夜、
事務所を閉めたあと自宅に戻ったスクルージは、
7年前に亡くなったマーレイ老人の
亡霊の訪問を受ける。

マーレイの亡霊は、
金銭欲や物欲に取り付かれた人間が
いかに悲惨な運命となるか、
生前の罪に比例して増えた鎖にまみれた自分自身を
例としてスクルージに諭し、
スクルージが自分以上に悲惨な結末を回避し、
新しい人生へと生き方を変えるため、
3人の精霊がこれから彼の前に出現すると伝える。

※Wikipediaに書かれている詳細⇒こちら

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さて、クリスマス・キャロルの作品を観ていくと
こういうシーンが出てきますね♪

☆scene1☆
(スクルージとスクルージの甥フレッドの会話)

スクルージ「クリスマスなど
ムダ遣いをさせるための空騒ぎだ。
金は出る一方で、
年を取って何が嬉しいやら・・・。
メリークリスマスなどと抜かす奴はたわけだ。
ケーキと一緒に焼かれて
ヒイラギに刺さって死ぬがいい。
何の得にもならん」

フレッド『儲からなくても
得することはたくさんあります。
クリスマスは特に・・・。

人々が皆、優しさと慈悲の心を持ち
寛大になれる時です。

堅く閉ざされた心の扉も
この時ばかりはお互いに心を開き合い、
皆、最期は同じ地を目指す。

見知らぬ者同士が
親しみを感じる季節。

ですから一銭にもならずとも
僕は得をしています。
神様のおかげでね』

 

☆scene2☆
(一人の紳士とスクルージの会話)

一人の紳士『こういう季節柄、
お金に余裕がある方の志で
貧しい人々を少しでも楽に出来たらと思いまして』

スクルージ「志? 金をふんだくる気か?」

一人の紳士『年千人もの人が路頭に迷い飢えているのです』

スクルージ「刑務所は?」

一人の紳士『一杯です』

スクルージ「労役所はどうだ?」

一人の紳士『相変わらず一杯で』

スクルージ「救貧院もフル回転?」

一人の紳士『残念ながら・・・』

スクルージ「いや安心した。つぶれたかと思った」

一人の紳士『気の毒な人々に食料と
温かな寝床を与えましょう。
寄付はいかほど?』

スクルージ「無しだ!」

一人の紳士『匿名なら』

スクルージ「君らの相手をするほど暇じゃない。
働き者の私に怠け者を助ける義務はない。
私は公共施設のために税金を払っとる。
救貧院へ行けばいい」

一人の紳士『死ぬ方がマシだという者も・・・』

スクルージ「死にたい奴は勝手に死ぬがいい。
奴らが野垂れ死にすれば、
余分な人口が減って丁度いい」

一人の紳士『ご冗談を』

スクルージ「私は本当だ。
お互い仕事に戻るとしよう」

 

☆scene3☆
(7年前に亡くなったマーレイの亡霊の訪問を受けた際の会話)

マーレイ『人間は誰しも、
魂の長い旅路を
運命付けられている。

そして様々な場所で多くを見なきゃならん!

生前でそれを果たさぬ者は、
死後も旅を続けるのだ。

生前に人々と喜びや痛みを分かち合えずにいると
俗世を彷徨い生前見逃していたものを見る。

幸福と知らず、見捨てていたものだ』

スクルージ「どうして鎖を?」

マーレイ『生前、自分が作り出した鎖だ。

輪っかが1つ1つ増えてしまって、このザマだ。

見覚えがないかね?
お前も同じ鎖でがんじがらめだ。

7年前のイブの晩、
お前の鎖はこれと同じ長さだった。
その後もせっせと長くしてる』

スクルージ「鎖などない」

マーレイ『私も死んで初めて
この鎖が見えたのだ。
お前も同じだ』

スクルージ「マーレイ、もっと聞きたい。
私を安心させてくれ」

マーレイ『ムリだ。まだ生きてた頃、
私の魂は事務所から出なかった。
あの狭苦しい部屋にこもりっきりで
金の勘定に明け暮れていた』

スクルージ「君は仕事熱心だったからな」

マーレイ『仕事だと?
本当の仕事は人類愛だったのだ。
肝心なのは人々の幸せだ。
慈悲や善行、そういう事が本当の仕事なのだ。
商売の取引など、この世の修行に比べたら、
海の中の一滴にも値せん』

スクルージ「気の毒に、何か力になれることは?」

マーレイ『いいや、ないね。
もう手遅れだ。
それよりお前を案じて
こうしてやってきたのだ』

スクルージ「本当か? 友達甲斐のある奴だ」

マーレイ『お前に忠告するために
おれは遣わされた。
心を開くのだ。
まだ手遅れにはなってない。
さもなくば、この倍の重さが
お前に課せられるぞ』

 

☆scene4☆
(クラチットが家でクリスマスを祝うシーン)

クラチット『神よ、この食事に感謝します。
愛と喜びに満ちた日。
この特別な日に家族全員が揃って
幸せを分かち合えることを感謝します!
アーメン』

スクルージ「粗食だな」

現在のクリスマスの精霊『あれが精一杯だ』

クラチット『ではいただこう、メリークリスマス』

ティム『皆に神のご加護を』

スクルージ「この子は生きられるのかね?」

現在のクリスマスの精霊『空いた椅子が見える。
それに持ち主のない松葉杖も。
未来がこれらの影を変えない限り、
この子は死ぬ』

スクルージ「そんな、助けてやってくれ」

現在のクリスマスの精霊『未来が変らない限り、
私にはどうにも出来ない。
死んだって構わないじゃないか?
余分な人口が減って丁度いい、そうだろ?』

スクルージ「私が言った言葉だ」

現在のクリスマスの精霊『言葉には気をつけるんだな。
どういう人間が口減らしになるのか、
考えてみるがいい。
天国から見れば何百万の貧しい子供たちより、
お前の方がよほど口減らし向きだ!!』

(食後にデザートが出てきて)

クラチット『ここでスクルージさんに
乾杯をしたい。
晩餐の出資者だからな』

クラチット夫人『ふん、何が出資者よ。
あの人が今ここにいたら、
私が一言、言ってやるのに』

クラチット『子供の前でそんな』

クラチット夫人『あんなにケチで
憎たらしくて思いやりのない人のために
乾杯するなんて、真っ平』

クラチット『もっと寛容に』

クラチット夫人『いいわ、
あなたのために乾杯するわ。
あの人のためじゃないわよ。
スクルージさんの健康を祈って、
メリークリスマス&ハッピーニューイヤー、
どうか彼が幸せでありますように』

スクルージ「あの男の言う通りだ。
私がいなきゃ、晩餐も何もない。
私あっての暮らしだ」

現在のクリスマスの精霊『彼らを見て
学んだのはそれだけか?』

スクルージ「そうでもないが
自分の宣伝は自分がしないと・・・」

 

クリスマス・キャロルの作品の原点とは…

クリスマス・キャロルの作品に出てくるシーンを
ここまでに4つほど紹介させていただきましたが
このクリスマス・キャロルという作品の原点にあるのは
『豊かな者が、貧しい者を助け、
社会をよりよいものにするという
キリスト教的博愛と、美徳の精神』から
成り立っているように私は感じます。

 

お金儲けをした人が“尊敬される”社会を作りたいと語る高岡浩三氏

さて、ここで、2013年11月6日に
TBS系列で放送された
子供に聞かせたい「お金儲け」の話をしよう。』という番組内で
ネスレ日本の社長に抜擢された高岡浩三氏のお話の
最後の辺りを紹介したいと思います

MC)最後に高岡社長が、
(みなさんに)伝えたいメッセージがあると
いうことなんで・・・

高岡社長『最後にみなさんに
申し上げたいのは、

お金儲けは正義だ!

悪いことではない!

お金儲けは
みなさんが人に対して
人を幸せにするようなことをした結果、
得られる代償だと。

そして何よりも
お金も儲けるということの
大切なことは
実はお金を儲けた会社、
あるいは個人が税金を払う

日本の法律では
利益を出した人が、
税金を払いなさいという仕組みになっていますね。

日本には300万以上もの会社がありますが、
その中で利益をあげて税金を払っている会社は
3割しかいません

この国は高齢化社会です。
少ない若い世代で、
たくさんのお年寄りを面倒見なければいけない。
そのためにも実は税金はもっといる!
なのに稼ぐ会社が少なかったり、
稼ぐ個人が少なければ、
税金が増えない。
そのうち国として破産してしまう

だから儲けてほしいんですよ!

この国は、面白いことに、
ぼろ儲けという言葉はありますけど、
稼いだ人を褒め称える言葉がない。

アメリカには
アメリカンドリームという言葉があります。

なのに、日本では
稼いだら後ろめたさを感じるところがある。

でも、そういう企業、
そういう個人がリスペクトされるというか、
尊敬される社会を作らないといけないかなぁと。

そういう将来のためにも、
ぜひ若いみなさんには、
お金儲けは悪いことではないんだということを思って
帰って頂きたいなと思います』

この高岡浩三氏のお話の中で、
お金儲けをした人が
“尊敬される”社会を作らないと、と言っていますが、
日本ではどうしてお金儲けをした人が
尊敬されないのでしょうか?

私が考えるに
日本人はお金儲けした人が
社会へ還元をしていない人が
多いからではないでしょうか!?

 

坂本光氏が語る『子供に話すお金の話』とは…

さて、ここで、
坂本光氏が『子供に話すお金の話』というタイトルで
書いた一部を引用させていただきます

ここ数年のニュースでも、
マイクロソフトのビルゲイツ氏や
投資家のウォーレンバフェット氏が
数兆円規模のお金を寄付すると発表して、
世界中を驚かせました。

アメリカでは、昔から
カーネギーやロックフェラーなどの大資産家が
寄付を行っており、
現在でもゲイツ氏やバフェット氏に限らず、
1年間の所得が10万ドル(約1100万円)以上のお金持ちの人は
約9割の人が寄付をしています。

また高所得者だけでなく、
低所得の人も含め一般の庶民が地元の教会や
NPO活動へ多額の寄付をしていることからも、
アメリカ人にとって寄付は
日常生活の中で決して特別なことではありません。

それに対して、日本では
1年間の所得が5,000万円以上の人でも
1割程度しか寄付をする人がいないのが現状であり、
それよりも所得の低い日本人は、
寄付をする人の割合がさらに少ないという状況なのです。

では、いったいなぜ、
日本とアメリカでこんなに大きな差があるのでしょうか。

これには大きく分けて「文化の違い」と
「税金の制度の違い」の2つの理由が
考えられます。

まず文化の違いについてお話ししますと、
アメリカでは「お金を持っている人が、
貧しい人に分け与えるべきである」という
キリスト教の考え方による影響が大きいといわれています。

キリスト教では多くの教会の人たちが
自分の稼いだお金のうちの1/10を献金しており、
これは旧約聖書の中に書かれている律法で
定められていたことに由来しています。

ちなみにキリスト教徒の多い韓国でも
アメリカと同様、俳優のぺ・ヨンジュンさんをはじめとして
多くの芸能人が寄付を行っているという話は有名です。

※全文は⇒こちら

 

お金の使い方が違う

でも、稼いでいる日本人の多くは、
「自分が稼いだお金を
自分が好きなように使って何が悪いのか」という
発想ではないでしょうか!?

たとえば自分には豪華な社長室を造り、優雅に暮らし、
会社は経営破綻した英会話教室とか
過去にありませんでしたか?

たとえば日本の実業家と言われてきた
ホリエモンや柳井正氏などが
稼いで手にした自分のお金を
社会貢献活動に使ったという
ニュースが流れたことがありますか!?

日本の有名人や芸能人、
アスリートにしてもそうですが
ほとんど聞こえてこないですよね?

『金持ちがどんなに
その富を自慢しているとしても
彼がその富をどんなふうに使うかが判るまで、
彼をほめてはいけない』
ソクラテス氏

稼いでいる人が
世界に比べて日本人はリスペクトされない
原因の1つはソクラテス氏の名言が
ヒントになるのではないでしょうか!?

東日本大震災の復興資金として
個人で100億円を寄付し、
また、2011年から引退するまで
ソフトバンクグループ代表として受け取る報酬の全額も、
震災で両親を亡くした孤児の支援として寄付するとも発表し、
実行している孫正義氏は
私がリスペクトしている数少ないうちの1人です。

さて、私が25年以上前になりますが
テニススクールへテニスを学びに通っていたときに、
大学生でアルバイトコーチをしていた
確か山村さんという人がいたのですが、
彼は映画の監督になるという夢を実現するために
貯めたお金で渡米し、
渡米後の生活をテニスクラブへレポートしていましたが、
アメリカでは有名な監督が夜、
ボランティア感覚で教えに来てくれるという話は
今でも心に残っています。

また、アメリカでは、
どんなに身分が低くとも、
努力して自らの能力を磨けば
大統領にもなれる

これがアメリカであり、
だからこそアメリカンドリームという言葉も
あるのではないでしょうか。

海外ではよく人に投資したりしますが、
日本では人に投資したという話を
あまり聞いたことがありませんね・・・。

 

お仕事がある“ありがたみ”

さて、少し話を変えて
scene4で挙げたクラチットが家で
クリスマスを祝うシーンで
クラチットが『ここでスクルージさんに
乾杯をしたい。
晩餐の出資者だからな』

クラチット夫人『ふん、何が出資者よ。
あの人が今ここにいたら、
私が一言、言ってやるのに』

クラチット『子供の前でそんな』

クラチット夫人『あんなにケチで
憎たらしくて思いやりのない人のために
乾杯するなんて、真っ平』というシーンが出てきます。

ここで、1つ、紹介させていただきたいお話とは…

AKB的人生論
大人たちに言いたい
高橋みなみ(AKB48)

14歳のデビューから8年目。

いつの間にか後輩ばかりになってしまい……。

昨年8月からAKB48グループの
総監督をしています。

名付けたプロデューサーの秋元康さんは
「キャッチーな名前だろ」って、
ネタにしていますけど、
実際は中間管理職のような感じでしょうか。

メンバーの中心は10代の女の子。
繊細なんですよ。

大人のスタッフさんに言いたいことを
言えない子もいます。

だから間に入って、
互いの意思を伝え、
相談にも乗っています。

楽屋では、
「へらへら」ってしていますが、
言うべきときには言いますよ。

昨年8月の東京ドーム公演前のリハーサルでは、
メンバー全員の前で

「みんな腐ってる。こんなんじゃAKBが終わる」と

本気で叱っちゃいましたね。

舞台スタッフさんが大事な説明をしているのに、
話を聞かず会話をしているメンバーがいたからです。

嫌われるかもしれないし、
気が重いけど、自分を曲げることはしません。

真摯(しんし)に伝えれば、
みんなもわかってくれるはずだから。

好きなリーダーが3人います。

スティーブ・ジョブズさん、小泉純一郎さん、
それと明石家さんまさん。

みんな言葉に芯が通っています。

芯のない言葉を発しても、
人から信じてもらえない。

私の芯は「大好きなAKBのために」って
いうことです。

みんなに認められてこそ、
本物のリーダーだと思います。

私もそうなりたいです。

※朝日新聞2013年4月5日夕刊から
引用させていただきました

この文中で『昨年8月の
東京ドーム公演前のリハーサルでは、
メンバー全員の前で

「みんな腐ってる。こんなんじゃAKBが終わる」と

本気で叱っちゃいましたね。

舞台スタッフさんが大事な説明をしているのに、
話を聞かず会話をしているメンバーがいたからです。』というのが
ありますが、

AKBはデビュー当初から売れたわけではないので、
売れない時期を経験している初期のメンバーは
お仕事を頂ける“ありがたみ”が
身に染みてわかっているけど、

自分たちを輝かせるために
裏方として働く舞台スタッフさんが
大事な説明をしているのに、
話を聞かず会話をしているメンバーって、
たぶんお仕事を頂けるありがたみって
理解していないんだな~と私は思うのです。

 

私が経験したある出来事…

私は高校卒業後、
当時、東洋一の郵便局と言われた郵便局に
私は配属されました。
その郵便局は横浜市内で出された郵便物を
1つの郵便局へすべて集めて行う
集中処理一貫システムの
役割を担っていました。

私の採用当時、横浜市は
まだ三百万都市になっていない時代でしたが、
横浜市の人口も増え、郵便取扱物数も景気とともに
右肩上がりに急速に伸びていく時代へと
向かっていきました。

そして、1つの郵便局では
処理する能力を超えてしまったため、
業務の移管が始まりました。

その結果、業務に追われ
忙しかった職場も
閑散な職場になり、
一緒に働いていた仲間も
どんどん配置転換して
職場を去って行ったときに、
『不平不満がありながらも
仕事があるうちが華だな』と、
この経験から私は学ぶことができました。

このクリスマスを迎えるにあたって、
労働の対価として賃金を頂けているおかげで
今もこうしてクリスマスを家族や仲間みんなと迎えられ、
そして生かされていることに、
クリスマス・キャロルに出てくるクラチットのように
スクルージから薄給しかもらっていなくても、
(ブラック企業は除くとして)
自分の会社へ感謝の気持ちを抱く人が
日本でどれだけいるのでしょうか?

私は数少ないと思っています。

会社に行ったら仕事がある。
これは極々当たり前のように見えるかもしれませんが、
会社に行ったら仕事があるなんて、
それは凄く恵まれていることなのです。

UAW(全米自動車労組)は、
過去に権利を主張し過ぎて
自動車経営は厳しくなり
多くの失業者を生んでしまいましたが、
会社が再建されることが決まった結果、
再雇用されて、また車の製造に携わっている労働者は
給料は下がってしまったけど、
働ける喜び(お仕事を頂けるありがたみ)を
口にする姿をTVで見たことがあります。

ですから仕事に行けば
不平不満が出ることも多いとは思いますが、
会社に行ったら仕事があるなんて、
それは凄く恵まれていることでもあるのです。

本当は恵まれているのにも関わらず、
そのことに気づけず、
欲求不満しか出てこない人が大勢います。

『暗いと不平を言うよりも、
あなたが進んで明かりをつけなさい。』
マザー・テレサ氏

本当は恵まれていて
明かりをつけられる人たちが、
欲求不満ばかりを口にし、
自分のことだけを考えて
明かりをつけられないことが、
日本の、そして世界の貧困を
救えないことにつながっていること、
それにどうか気づいて欲しいのです。

物質面の貧しさに比べ、
先進国の精神の貧しさは根が深く、
大変な問題と見ていたマザー・テレサ氏。

そして

『もし自由社会が
貧しい多数の人たちを助けることができなければ、
富める少数の人々をも決して守り得ないであろう。』
ジョン・F・ケネディ氏。

 

2013年1月10日の新聞報道では
富裕層課税拡大へと書かれていました。

このような話が出てくるのも
富める少数の人々が
社会に還元している人が少ないからではないでしょうか?

また、ジョン・F・ケネディ氏は
大統領の就任演説でこのようなことも話されています

『米国民の同胞の皆さん、
あなたの国があなたのために
何ができるかを問わないでほしい。

あなたがあなたの国のために
何ができるかを問うてほしい。

世界の市民同胞の皆さん、
米国があなたのために
何をするかを問うのではなく、
われわれが人類の自由のために、
一緒に何ができるかを問うてほしい』
ジョン・F・ケネディ氏

 

“give and take”とは…

ですが、最近の日本を見ると
「あなたは与える側、
私は受け取る側」という感じになっていませんか?

give and takeという言葉がありますが、
give or takeではありませんよね

give and takeは
もちつもたれつ、支え合うという意味などにも
なるのでしょうか・・・。

与え続けた人(何らかのギフトを贈り続けた人)が、
いつか必要なときに与えられるのです

ですから“giveが先”なのです

でも、多くの人は
俺にも与えろや、
一方的に欲しい欲しいとばかりに
takeだけが優先されて、逆に
あなたも誰かに何かを先に与えられる存在でありながら、
その努力を怠っている人が
ほとんどではないでしょうか!?

ですから必要なときに与えられないのですが…。

たとえば年金だけでは生活が出来ず、
もう歳で仕事にも就けないので、
一部を生活保護に頼らざるを得ない人もいるでしょう。

今後、こういう人たちは、日本では
もっと増えてくるのではないでしょうか。

日本は法律により
最低限の生活が保障されていて
生活保護という救済システムがありますが、
生活保護を受けている人たちが
国や誰かにプラスになる何らかのギフトをしてきたでしょうか?

たとえば、年金だけでは生活が出来ず、
もう歳で仕事にも就けないので、
一部を生活保護に頼らざるを得ない人がいたとします。

援助を受けてお世話になっている身だから、
お礼にみんなが少しでも明るい暮らしができるよう
毎日、街の清掃をしたりして、
そんな小さなことでもギフトを贈り続けていれば、
『おじいちゃん、いつも街を綺麗にしてくれてありがとう。
生活保護費が削られて大変でしょう。
家で多く作っちゃったから宜しかったらどうぞ』と
お食事のお裾分けが起きるかもしれませんし、
生活保護費が削られるとなったときに、
自分が出来る何らかの本当に小さなギフトでも先に贈り続けていれば
『いやいや、あの人たちも自分のできる範囲で
国や街のために協力しているじゃないですか』という声も
上がってくることもあったのではないでしょうか!?

そういう声がなかなか上がらなかったということは
自分は受け取る側と決めつけ、
何かを与えられる存在でありながら、
その努力を怠ってきたからではないでしょうか!?
だから必要なときに残念ながら与えられないのです。

今回は生活保護者を例にしてしまいましたが、
すべての国民、誰もが
あなたも誰かに何かを先に与えられる存在である
ということをどうか忘れないで欲しいのです。

 

日々の生き方が、その人の結末を決めます

クリスマス・キャロルでは
『日々の生き方が、その人の結末を決める!
だが、その道を外れれば、結果も変わるはずだ』と
スクルージに改心を促しました。

よく日常でも目にするのは
『自分のお墓にどんな言葉を書かれたいか?』とか
『自分が死んだことが新聞の記事として載ったとき、
どのようなことが書かれたいか』をイメージしながら
日常の生活をすると良いとされています。

あなたは死後、周囲から
どのように扱われたいですか?
どのように言われたいですか?

スクルージは自分の生き方の
延長線にある未来を見せられ
改心しました。

さて、ジョン・F・ケネディ氏の
『米国民の同胞の皆さん、
あなたの国があなたのために
何ができるかを問わないでほしい。

あなたがあなたの国のために
何ができるかを問うてほしい』という名言。

自己利益を超えて、人のため、世のため、
国のために、何らかのアクションを続けていけば、
もっと明るい世の中になるのではないでしょうか!?

『先進国にも、ひとつの貧しさがあります。
それは、お互い同士、心を許していない貧しさ、
精神的貧困、淋しさ、愛の欠如から来る
貧しさといっていいでしょう。
愛の欠如こそ、今日の世界における最悪の病です』
マザー・テレサ氏

 

『人々は与えることを学ばなければなりません。
でも、与えることを義務と考えるのではなく、
与えることを願いとすることが大切です』
マザー・テレサ氏

 

そして『先進国に住む私たちの心の飢餓が
世界の飢餓をつくっている』という
マザー・テレサ氏の言葉も
どうか忘れないで欲しいのです。

クリスマス・キャロルの中で
クラチットが家族とクリスマスを祝うシーンで
『神よ、この食事に感謝します。
愛と喜びに満ちた日。
この特別な日に家族全員が揃って
幸せを分かち合えることを感謝します!』と
祈りを捧げましたが、

『平和も戦争も家庭から始まります。
もし本当に世界平和を願っているなら、
まず自分の家が相互に愛し合うことから
始めていきましょう。
もし、喜びを広げていきたいなら、
まず、ひとつひとつの家族が
喜びをもって生活することが必要なのです』
マザー・テレサ氏

 

英語圏ではクリスマス・キャロルで心を洗う機会があるが…

『クリスマス・キャロル』は
英語圏では知らぬ者はいないと言われるぐらい
有名なクリスマス物語です。

ですからクリスマスが近づくと
こういう物語に触れて
心を洗う機会に恵まれますが、
日本はこういう心を洗う機会が
果たしてあるのでしょうか!?

日本人の心の貧しさは
心を洗う機会が年間を通じて無いのも
1つの要因かもしれません。

クリスマスの時期だからこそ、
こういう話題を敢えて私は
取り上げてみました。

それでは、ここからは
『クリスマス・キャロル ザ・ミュージカル [DVD]』の中でも
流れていた歌詞を紹介しながら
お別れしたいと思います。
(この歌詞の中でも、
“みんなが”、“分かち合おう”、
“一緒に”、“心寄せ合い”などの言葉が
使われています。
自分だけの利益や
自分だけの幸せを考えるのではなく、
自己利益を超えて、人々の幸せを願うことの大切さを
どうか学んで頂けたら幸いです☆

でも、一番大切なのは、愛する人たちと
一緒にかけがえのない時を過ごす事

家族のみんなと最高のごちそうに
神様の祝福を そして乾杯!

みんなが楽しく過ごせますように
誰もが幸せになれるよう
神様にお祈りするよ

そうさ これこそが この世界のあるべき姿
クリスマスをみんなで分かち合おう

みんなで集い 歌いながら
聖なるクリスマスをお祝いしよう
血縁や友情で結ばれた
あたたかな家族と共に

貧しい者にも愛はあふれる
決して尽きる事のない愛

みんなでクリスマスを祝おう

友情をたたえ
家族をたたえ
クリスマスを みんなで
心寄せ合い 世界中でお祝いしよう!

みんなで集い 歌いながら
聖なるクリスマスをお祝いしよう

誰もが幸せになれるように
神様にお祈りするよ

お願いします
空に輝くお星様

私たちの心に慈しみを
よみがえらせて下さい

天に召されるまで
誰もが愛し合い

神様の祝福を受ける事が
出来ますように

天に瞬く星のように
きらめき輝く心の光で

夜の闇を照らしましょう

神様の祝福を受ける事が
出来るように

すべての子供たちが
飢える事なく

すべての人々が自由になり
世界中が1つの家族になれたら

その時 初めて
空にお星様が連なるように

人の心に 優しさが宿ってくる
天に召されるまで 愛し続けよう

神様の祝福を受ける事が
出来るように
みんなで集い 歌いながら
聖なるクリスマスをお祝いしよう

喜びを分かち合い
新たな年を迎えよう

貧しき者にも 愛はあふれる
愛するのは たやすい事

みんなの願いが
叶いますように

友情をたたえ
家族をたたえ

クリスマスを 一緒に祝おう

この幸せを 永遠に
心に抱き続けて

God bless us all, everyone!
みんなに神様の祝福を☆

P.S. この3枚の画像は、
クリスマス・キャロル ザ・ミュージカル [DVD]から
使用させていただきましたm(__)m

※今日の内容は2013年12月25日に
シーサーブログの方へアップした内容を再編集し、
こちらにもアップさせていただきました。
当時のブログは⇒こちら

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