先週2月12日は
司馬遼太郎さんの御命日だったのですが、
私は学が無い者で、
司馬遼太郎さんというお名前は
存じ上げていたのですが、
どういう人物だったのか、
どういう作品を世に出してきたのかは
全くというほど知りませんでした。
ところが、あるときに、
生前の映像を見る機会があり、
その司馬遼太郎さんが語っていたお言葉に、
私はすごく共感できる自分がいました。
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今日は、そのお言葉を
紹介したいと思います。
私は『坂の上の雲』という小説を
書きました。
これは自分の義務だと思って
書いたんです。太平洋戦争の敗戦を迎えるときに、
敗戦そのものよりも、
なぜこういうつまらない国なのかと、
つまり国を運営している人々が
なぜこんなにお粗末なのかということを
考えたわけですが、
要するに世界というものがわからない、
そして人々というものがわからない、戦争の言葉で言いますと
戦術というのは局地的なものであり、
そして小部隊なものは分かっても、
戦略は分からない。
あるいは政府が分からない。
日本人とはそういう民族なのではないかと…。これは古い話で
兵隊の位でいいますと、
少佐くらいの程度までは
日本人は優秀であります。ところがそれよりも上に行くと
非常にグローバルに
ものを見なければいけない。そして一つのアクションをやると
リアクションが返ってくるという、
そのリアクションは世界の規模で
考えなければいけない。世界の規模、
つまり外交感覚だけでなくて、
経済とか、人の心とか、
いろいろなところから
総合しなければいけない。将軍のことを
ジェネラルといいますが、
諸価値の総合者という意味でありますが、
諸価値の総合者という人は
階級としてはいたんだけれども
実際にはいなかったのではないかと…。ですから日露戦争において
それを見ようと。
そのときに思いましたのは
非常に明治のその時期までの
つまりいわゆる偉い人も
みんな正直でした。日本にはこれだけしか
米つぶが無いんだ、
お金はこれだけしか無いんだということを
割合正直でした。そしてロシアは地球を
覆うほどの大国であります。
ですからとても勝てるもんじゃないんだと、
最後はアメリカに調停を頼めば良いだろうと、
つまり痛み分けというところまで
もっていけば良いだろう、
こういう感覚で日露戦争を
始めたわけです。ところが戦争に勝ったとたんに
軍部および政府は
日比谷公園で沸騰しておる群衆と同じように
自分が全部知っておるくせに
不正直に、
群衆の方にピントを合わせたり、
気運が出てきました。もしそのときに勇気のある
ジャーナリズムがあって、
日露戦争の実態はこうだったんだと。
とてもじゃないけど満州における、
つまり満州の戦場では
弾砲弾も無くなりつつあった。
これ以上続いていれば
自滅するだろうと、
そういう際どいものだったということが
正直に書かれていれば、
そして日本はその程度の国なのだという
自己認識が明快に
つまり文章で提示されたら、
国民は自分についての認識、
相手についての認識が
よく分かったろうと思うんです。
ロシアと戦争して
大きく金を取れとか
領地をもっと取れとか
そういう要求、
これはつまり日露戦争を
勝ったと思っているんですから、
事実勝ったことは勝ったでしょう。
ですけれども勝利の見返りの領土と金を
たっぷり取れということが
そういう形で沸騰したわけである。ですから人民がそこで集まって
気勢を上げるということが
非常に正しいものだという
近代史的な考え方は
私はほとんどの場合
是認するわけでありますけれども、
日比谷公園に集まった群衆は
やはり日本の近代を大きく曲げていく
スタートになったと思います。※1986年、司馬遼太郎さん62歳当時の談話より
この司馬遼太郎さんのお言葉の中で、
最初の頃に出てきた
『古い話で
兵隊の位でいいますと、
少佐くらいの程度までは
日本人は優秀であります。
ところがそれよりも上に行くと
非常にグローバルに
ものを見なければいけない。
そして一つのアクションをやると
リアクションが返ってくるという、
そのリアクションは世界の規模で
考えなければいけない。』
正にそうだと思います。
ある一定のポジションまでは
日本人は優秀でも、
それ以上のポジションとなると
能力不足を感じてしまうことは
多々感じてきましたので…。
そして一つのアクションをやると
リアクションが返ってくるという、
そのリアクションは世界の規模で
考えなければいけない。
本当にそうだと思います。
そして、この一つのアクション、
一つの発言は、
別に外交の場だけを指しているわけではなく、
あらゆる局面でのアクションや発言が
対象となることを理解しながら
行動を起こしているようには
私の目からは残念ながら
見えないことがあります。
だから私も55年生きてきて
見えてきたことは
司馬遼太郎さんと同じように、
国を運営している人々が
グローバルな視点で物事が見れていない、
なぜこんなにお粗末なのかということなんです…。
それと中盤に
『勇気のあるジャーナリズムがあれば』と
ありましたが、
私は昨年の5月に
『【是々非々で】日本で起きた3つの出来事から自衛隊力を考えてみる』という
ブログを書きました。
自衛隊力も把握していないで
戦争に前のめりになりそうな気配があったので、
私は書いたわけですが、
本来は報道機関が書くべき内容のことと
私は思うんですがね…。
簡単ですが
司馬遼太郎さんが語った大切なお言葉に
今一度触れてみたくなり
ブログを書いてみました。
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