相次ぐアルバイト等による「不適切動画」投稿が

いま社会問題となっています。

 

さて、ここで私が実際に体験したお話から

まずは書いていきたいと思います。

 

私が郵便局に勤めていた時代、

書留など重要信を扱う課へ

異動になったときのお話になります。

(15年から20年ぐらい前の話になりましょうか?)

 

書留など重要信を扱う課(係)は、

簡単に書きますと

①書留などが入った郵袋やケースが到着し開披作業

②郵便物査数照合

③郵便物の区分

④郵便物送達証作成

⑤郵便物査数照合

⑥郵袋やケースへ納入

⑦郵袋やケースへの締切作業

というのが大まかな流れとなります。

 

そして例えば今20,000通の書留郵便物が

到着し査数照合を終え

区分を終えたとしましょう。

 

今度は差立作業に入ります。

いま差立てる必要がない郵便物が仮に20通あったとしますと

19,980通分の郵便物送達証作成が出来ると

出入りの差が無いわけですが、

極稀に合わないケースがあったりします。

 

そうすると再確認をするわけですが、

部下でよくイージーミスをするS君という子がいたのです。

このS君という姓は課内で多かったため、

名前のTで呼ばれることが多かったのですが、

ミスをする度に、みんなから呆れ顔で

「またTか!」と言われていました。

 

でもミスをしたTは

悪びれる様子もなく

「やられた~」

「だまされた~」という感じで

自分でミスをした反省の言葉がありませんでした。

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そこで組合活動で以前から

顔を合わせていて、

その職場にずっといた子を

『奢るから飲みに行こう』と誘って、

色々な話をする中で

「ところでTって、なんであんなにミスをするのだろう?」と

聞いてみると、

「木村さん、いま流行りのゲーム脳ですよ」と

言ってくるのです。

 

確かにその当時新聞などでゲーム脳という言葉が

出始めてきた時期でしたが、

教えてくれた子が言うには

 

『ゲームって

自分が面白くない局面になったら、

「もう一回最初からやり直しだ」と

リセットしたりするでしょ!

それと同じで(仕事で)ミスしても

ゲームと同じように

リセットすれば、また最初から始められる。

そんな感覚で仕事をしているんですよ』と

呆れ顔で言ってきました。

 

そういう話を聞いて、

トラックへの結束時間(締切時間)がある中で

簡単にミスをされると周りに多大な迷惑が掛かること、

それと僕の周囲で仲間外れは見たくない一心で、

彼がどういう局面でミスしやすいかを観察し、

サポートし、独り立ちさせた経験があるのですが、

その過程の中で

知ったのが“ゲーム脳”という存在でした。

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芥川龍之介氏は

このような言葉を残しています。

人生は一箱のマッチに似ている。

重大に扱うのはばかばかしい。

しかし重大に扱わなければ危険である。

(芥川龍之介)

昔のマッチは摩擦などで

すぐに発火してしまうので

気を抜いて

雑に扱ってしまうと危険という意味になるのでしょう。

 

またアンソニー・ロビンズ氏は

よく『in a heartbeat』という表現を使うそうですが、

意味としては、

心臓の鼓動一つの間でも変化は起きる。

変化は一瞬にして起きる。

ということです。

 

そして様々な不祥事の事後を見て頂ければお分かりのように

人生はゲームのように簡単にリセットできない姿を

他山の石として私たちは学ぶことが必要になってきます。

 

さて、この不適切動画問題については

日本テレビ系列で放送されている『スッキリ』が一番

真摯に向き合って報道したりしてきています⇒こちら

 

また、今の日本は

失敗に対して寛容な社会になってきてはいますが、

以前、私は

失敗には2つの種類がある。しかし日本の指導者のほとんどがそれを理解していない。』という

ブログを書きました。

その中でも触れたのですが

🔵再起できる失敗と再起できない失敗

前出のアーヴィング・グロースベック教授の授業では、
様々な失敗事例が取り上げられるが、
教授は失敗には二種類あると説明する。

・再起できる失敗
・再起が難しくなる失敗

再起できる失敗とは、
次の二つのいずれか、
あるいは両方を指す。
・最大限の努力をした結果の失敗
・投資家や周りの人に対して、最大限の誠実さを尽くした結果の失敗

つまり、仮に起業した会社が
うまくいかなかったとしても、
精一杯、誠実に努力した結果であれば、
世の中から再起のチャンスが与えられるのだ。

(中略)

再起が難しくなる失敗とは、
法に反するような不正・不祥事はもちろんのこと、
次のようなことが原因で
失敗してしまったケースだ。
・起業家がなまけていた
・投資家に納得のいく業績説明をしていなかった

(後略)

世界のエリートの「失敗力」 (PHPビジネス新書)より引用

一生懸命頑張った中での失敗には

再起のチャンスは訪れやすいのですが、

逆に自ら招いた不注意や怠慢な作業による失敗は

再起が難しくなるので、

 

ですから、ゲーム感覚、遊び感覚という

真剣さが足りない作業をしている人たちは

社会から信用を落とす前に

気がついた方が良いと私は考えます。

 

それとVR(バーチャル・リアリティ)の出現によって

VRのメリットも大きいのでしょうが、

現実とバーチャルの区別がつかなくなる人も

今後はさらに多くなるような感じもしていて、

嫌な予感もしています。

 

さてゲーム脳を書いたついでに、

以前テニスの国別対抗戦・フェドカップが

兵庫県にあるビーンズドームで開催されることになったときに、

まだその頃はテニスの応援もしていたので

私も足を運びました。

 

そのときに三宮駅からでしたか?

送迎バスが走ったので私も利用したときに、

トンネルに入った際、

後部座席に座っていた学生たちが

「電波が死んだ」と言っているのを聞いて、

僕としてはすごく違和感を感じました。

 

というのも私たちが小さいころは

“死”という言葉は

簡単には出せない言葉だったからです。

 

その“死”という言葉を簡単に使う若者を見て、

これも格闘ゲームなどで

「こいつ倒れろ」とか「死ねよこいつ」とか

“死”という言葉を簡単に

使っていたりするのが影響しているのでは!?と

思ったりもしました。

 

そう考えると“いじめ問題”が無くならないのも

ゲーム感覚で自分が気に食わない人間を

自分の視界から消そうという感覚でしかないのでは!?と

思ったりもしてきています。

 

私はゲームがダメとは言ってはいませんが、

むかしの親なら

『もういい加減にしなさい』と

ゲームのやり過ぎに対し

注意をしたりしてきましたが

今の親はどうなんでしょうか?

 

今日はゲーム脳の弊害について

簡単に書いてみました。

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