明日から開催される『あいちトリエンナーレ2019』で

芸術監督を務める津田大介氏は

参加アーティストの男女比を5対5の同数にしたそうです。

 

私は、この問題に限らず、

様々な専門分野においては、

男女とか、国籍とか、肌の色などで差別されることなく

その分野で秀でる者が選ばれるべきという考え方があります。

 

ですから今回の参加アーティストの

男女比を5対5と無理やり同数にしたことについては

賛同できかねる状況ですが、

ただ、HUFFPOSTの

「あいちトリエンナーレ2019」でジェンダー平等が実現

芸術監督の津田大介さんのこだわりの理由とは』の記事を読んで、

そこには女性が社会に進出できない構図があり、

それを打破するためには荒療治が必要という意味合いで

男女比を5対5の同数にしたという趣旨に

私は賛同できたので全面的にこのイベントを

私は支持しています。

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さて、私が郵便局に勤め始めたころ、

職場では不定期ながらも

よく業務研究会が

行われていました。

 

そして私が参加して間もない会議で

A先輩がいろいろと管理者に質問をしていました。

 

その会議が終わって会議室から職場へ戻る途中で、

A先輩に『先輩の言っていることの方が正しいですね』と言ったら、

A先輩は私に対し

『俺が職場のために一生懸命頑張っていたのに、

お前はただ何も言わず黙っていやがって!

お前も一緒の考えだったら「そうだ!そうだ!」ぐらい言えや!』と

激怒されたことがあります。

 

それ以来、私は傍観せず、

事あるごとに声を上げるようになったのですが…。

 

よく日本人は、

他の人がその問題について声を上げていると、

あの人が言ってくれているから

自分は声を上げなくても良いやという

傾向に陥りやすいです

(かつての自分もそうでしたが…)。

 

ところがそうすると

意見を浴びている側から見える景色は、

一部の人だけが騒いでいるように

見えてしまうのです。

 

よく海外では、デモになると

多くの国民が参加して

社会を変えていきやすいのですが、

それは多くの人がその問題に対し

賛同しているというアピールが

力を与えてくれているのでしょう。

 

ところが日本人は先ほども書いたように、

誰かが声を上げていれば

自分は何もしなくていいと

悪い言い方をすれば、さぼる、怠けやすい傾向があり、

それが声を上げてくれている人を

見殺しにしているとも言え、

社会を変えていく力も奪っているのです。

 

だから日本は海外に比べて

社会が変わっていかないのです…。

 

日本では男性に比べて

女性が冷遇されている場面が多く、

もし日本の女性が

「私たちは男性より冷遇されていることを好んでいるの。

余計なことしないで!」というのなら、

私などは「勝手なことをしてしまい、すみません」の世界ですが、

そうでないなら、

海外のようにもっと多くの人が声を上げ

多くの人が問題視していますと

アピールすべきではないでしょうか!?

やろうと思わなければ横に寝た箸を

縦にすることも出来ぬ。

(夏目漱石)

たとえ小さな斧でも、

数百度これを打てば

堅い樫の木も切り倒せる。

(シェイクスピア)

私も『あいちトリエンナーレ2019』

時間を見つけて行こうと思っています。

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