まえがき

7月8日に『2020東京オリンピックで

日本は金メダル30個を目指すとJOCは言うけれど…』という

ブログを僕は書きました。

 

今日はその続きで、

『2020東京オリンピックで金メダル30個獲得するために』という

タイトルで書いていきたいと思います。

常勝チームと呼ばれるチームが取り組んでいること

まずスポーツを観戦していても、

いくらメンタルトレーニングが

普及してきているとは言っても

本番で100%の実力を出しきれるという試合は

確率としてどのくらいなのでしょうか?

 

そこで常勝チームと呼ばれるチームが

取り組んでいることは、

本番では実力の80%が出せれば

勝てるというチーム作りをしていることです。

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日本が金メダル30個獲得を目指すなら

と同じように、

日本が2020東京オリンピックにおいて

金メダル30個獲得を目指すというのなら、

たとえばソチオリンピックの

女子スキージャンプ・髙梨沙羅選手が

金メダル候補と言われながら逃したり、

平昌オリンピックで女子スピードスケート1000mで

小平奈緒選手が金メダルを獲れてもいい種目で

逃しているのを見れば、

日本が金メダルを獲れる種目を40種目準備して、

そして7割5分の成功率で金メダル30個は

実現可能と言える数字になるでしょう。

キーワードは、300?

では金メダル獲得種目を40種目準備して、

金メダル30個を獲るにしても

絵に描いた餅では意味がありませんので、

具体的に結果を出していこうとするならば、

 

たとえば日本はフェンシングという競技は

メダル候補の競技ではありませんでしたが、

優秀な指導者を呼んで

300日合宿を敢行した結果、

メダルが期待される競技となってきました。

 

また今回の平昌オリンピックにおいても

女子スピードスケートの躍進の陰には

優秀な指導者を呼んで

300日合宿を敢行した結果とも言えるでしょう。

 

と、考えますと、

優秀な指導者を日本に呼んで、

2020東京オリンピックは

自国開催のためオリンピック出場権を獲るという

負担が無いため、

300日合宿を2年間取り組めば、

今はまだメダル獲得競技でない競技も

金メダルへの道が開かれる可能性が

出てくると言えるのではないでしょうか!?

そのためには…

では、そのためには、

2020東京オリンピック招致のときと

同じように、

政・官・財が協力して取り組む

一大プロジェクトを組むしか

方法はないのではないでしょうか?

これからの2年は…

先ほども挙げた7月8日に私が書いた

『2020東京オリンピックで

日本は金メダル30個を目指すとJOCは言うけれど… 』という

ブログ内でも書きましたが、

これからの2年、

世界各国は本気でスポーツに力を入れ

強化してくると僕は予想しています。

 

で、先日まで行われていた

FIFAワールドカップ2018・ロシア大会において

長友佑都選手や本田圭佑選手が、

日本のプランが試合の前に

報道されていることに懸念を抱いていましたが、

それは日本はこういう戦略で来ると知ったら、

それに勝る戦略を相手が立ててくることが想定され、

そうなると自分の首を自分で絞めることと同じに

なるからですね…。

 

ですから長友佑都選手や本田圭佑選手の、

着眼点という意味では正しいと言えるでしょう。

 

で、僕は7月8日のブログで

『木村よ、インターネット上にアップしないで俺たちだけにシェアしてくれ』という

勝負センスがある日本人が現れるかな~という

文章を書きました。

 

僕としては

問うて答えを待っていましたが、

この10日間何のリアクションも無い…。

 

そして日本がどんくさいスピードで強化すれば、

世界もどんくさいスピードに付き合ってくれるかといえば

そうではない。

 

世界は強化のスピードを緩めることは

しないでしょう。

 

そして私も打ち出の小槌ではないから、

あといくつかネットに公開すれば

たぶん勝負センスのある外国人の方が

日本より断然上に行くと僕は想定しています。

 

でも2020東京オリンピックまであと2年で、

時間は限られてきているから

やるべきことは書いていくしかない、

そういう状況で書いています。

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最後に

最後に勝負センスのある人は

スピード感に溢れているというお話を

第6章 大阪人のニューヨーカー

世界旅行中、旅先で殺陣や舞踊などの
パフォーマンスを披露してきた僕だったが、
エンターテインメントの本場、
アメリカで本格的にパフォーマンスをしたいという思いが
日増しに高まってきた。
世間は狭くないし、暇を潰す時間もなかった。

1997年夏、僕は、ニューヨークに旅立った。

ニューヨークには大小何百ものエージェンシーがある。
日本でいうところの芸能プロダクションである。

エージェンシーと一口に言っても、
アメリカの場合、モデルエージェンシーから
キャスティングエージェンシーまで
様々なエージェンシーに分かれている。

エージェンシーのリストが
掲載されている本を見ながら、
僕は、方端から、レジュメ(履歴書)を送った。

全部で120通くらい送って、
数週間待ってはみたものの、
かかってきた電話は0件だった。

しかし、そこであきらめるわけにはいかなかった。

本には“訪問お断り”とか“電話お断り”と
書かれていたけれど、僕はそれを無視して、
1件ずつ回ってみることにした。

日に7~8件、連日のように回った。

エージェンシーだけでなく、
マネージメントオフィスや制作会社など
ありとあらゆるところを回った。

僕はほとんどのところから門前払いにされ、
中にさえ入れてもらえなかった。

「日本人俳優だ」と言うと、
「すみません、受け入れられません」という
具合だった。

中には「レジュメだけは受け取りましょう」と
言ってくれるエージェンシーもあった。

僕は、喜んでビルの上まで上がり、
扉を開けてレジュメを手渡した。

ところが、その途端、レジュメは目の前で
ストンと落とされてしまった。

そして僕が拾おうとしてかがみ込んでいる隙に、
意地悪にも扉はパタンと閉められてしまった。

負けじと、レジュメを扉の下の隙間から
突っ込んでみたが、向こうはそれを
僕の方に押し戻してきた。
笑うに笑えないやりとりだった。

しかし、中には、笑えるエピソードもある。

“エリートモデル”という
エージェンシーを訪ねた時のことだ。

トレンチコートにサングラスという出で立ちで
事務所に入った僕は、受付で、
パッとサングラスを外すと、受付嬢に、
“Are you looking for a Japanese super model?”
「日本人のスーパーモデル、探してる?」と聞いた。

受付嬢は僕の格好に驚き、
ポカーンとした顔をすると、
「ここは女性モデル用のエージェンシーです」
と言った。
次の瞬間、事務所全体から、
大爆笑が湧き起こった。

訪ねるところ訪ねるところ、
門前払いにされたり、意地悪されたりすると、
普通ならへこんでしまう人も多いと思う。

でも僕は全然へこまなかった。

腹は立ったが、へこみはしなかった。

あきらめない限り、
へこむ理由なんてないのだから。

もし同じチャレンジを日本でしたなら、
「どうぞ座って下さい」と言って、
話くらいは聞いてくれるのではないだろうか。

アメリカ人が話を全然聞こうとしないのは、
それだけ、エージェンシーを訪ねてくる俳優志願者が
多いということなのだ。
しかも僕は彼等から見たら勝手にアメリカに来て、
入れてくれ、と頼んでいる外国人だ。

僕は全部で160件ほどのオフィスを回った。

でも、一度決めたことだ。
僕には、160件なんて、
数のうちには入らなかった。

初めて、僕の話を聞いてくれたのは、
何人ものつてを使って、
ようやく辿り着いたスー・スー・スタントンという
マネージメントカンパニーのスー・スーだった。

数えること、161件目のオフィスだった。

訪ねると、僕以外にも5人、
面接に来ていた。

やっと僕の話をまともに聞いてくれる。
相手がちゃんと対応してくれる。
それだけで嬉しかった。

写真やビデオを見せると、
スー・スーは「凄いじゃないの」と言って
気に入ってくれた。

そして「ちょっと待ってて」と言うと、
近くに住んでいるという
映画プロデューサーの女性を呼び出して、
いきなりそのビデオを見せた。

そして、スー・スーは彼女に、
「彼は侍パフォーマンスができて、
チャップリンのモノマネができるのよ。
どう思う?」と言って
早速売り込みを開始した。

あまりの行動の早さに僕は、
目を剥いた。

さらに驚いたのは、
プロデューサーもその場で即答したことだ。

「いいわね、彼。OK、一緒に仕事をしましょう」
<かっこええ。なんてかっこええんや>

これこそニューヨークだ。

続けてスー・スーは、
“What do you want?”
「何が必要なの?」と聞いてきた。

僕は、即座に、
“I want fucking Visa!!!”
「労働ビザがほしいねん!」と答えた。

すると、スー・スーはその場で弁護士に
電話をかけ始めた。

その手際の良さは凄まじかった。

そして相手が出た瞬間、僕に受話器を渡した
“あなたが話しなさい”。

<え!? いきなり?>

驚きながらも直接、その弁護士と話すと、彼が、
「一番大事なのは、スー・スーが君のために
書類に署名(サイン)をしてくれるかどうかだ。
彼女に聞いてみてくれないか」と言った。

アメリカではいかなる場合でも
何かの書類にサインをするのは、
とても重要だ。
慎重にしなければならない。
日本人が印鑑を押すことと同じくらい
重要なことなのだ。

恐る恐るスー・スーに聞いてみた。

その時の彼女のかっこいい回答を、
僕は生涯忘れることはできない。

“Of course,that’s Why I am here.”
「もちろん、だから私はここにいるのよ」

(後略)

※神田瀧夢著『サムライスピリット』より引用

このスピード感が世界のスピード感と言っても

僕は良いと思うのですが

日本人にこのスピード感が出せる人が

あまりいません。

その理由はまた後日別の記事で

書いていくことにいたします。

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