昨年の「第9回AKB選抜総選挙」において
前代未聞の“結婚宣言”をして
世間を騒がせた須藤凜々花氏の問題から
まずは書いていきたいと思います。
私は以前より
アイドルにも人権は認められるべきとの立場でいるので、
恋愛もOK派でいます。
ま~、こういうことを書くと
芸能事務所から僕は憎まれてしまうわけですが…(汗)
では、まず、人権とは
《世界人権宣言》
1948年12月10日、
国際連合第3回総会で、
「世界人権宣言」が採択されました。
世界人権宣言は、
初めて人権の国際的な保護をうたった
画期的なもので、
前文と30の条文からなります。
すべての人がいかなる事由による
差別をも受けることなく、
これらの人権を享有できるように
すべきである、と宣言しています。
第一条
すべての人間は、
生まれながらにして自由であり、
かつ、尊厳と権利とについて平等である。
人間は、理性と良心とを授けられており、
互いに同胞の精神をもって
行動しなければならない。
※横浜市人権啓発活動ネットワーク協議会パンフレットより引用
なのでアイドルでも人権は適用されるべきだと私は考えますが、
AKBの場合は別ケースで、
恋愛禁止をファンが押しつけているわけではなくて、
自分たちで掲げた看板(ルール、掟)です。
総合プロデューサーの秋元康氏は
自分が言ったことではないと
いつのときか釈明していましたが、
須藤凜々花氏問題のあと、
宮澤佐江氏が囲み取材を受けたときに
契約書に恋愛禁止は書かれていたことを
言っていましたので、
AKB48の場合は
契約書に恋愛禁止は書かれていると判断しています。
そしてNMB48・加藤夕夏氏の
ツイッター裏アカウント発覚の時期だったか?
柏木由紀氏の報道の時期だったかは定かではないのですが、
僕としては、
度重なる恋愛騒動発覚でいい加減にしろよ!という時期に
ツイッターでつぶやいた言葉は、
恋愛禁止を自らの手で掲げている以上、
恋愛禁止は守るべき。
そして恋愛禁止が守れないのでしたら、
恋愛禁止の看板は下ろせ。
これが僕の主張です。
ただ補足としては、僕は
恋愛禁止は聞いているけど、
交流までもダメよ、とは僕は聞いていない…。
そして須藤凜々花氏が後日、
ある番組で「炎上する方がおかしい」と
発言したようですが、
信じた者を裏切る行為をしたのだから、
炎上するのも当然と言えば当然な話だと
私は思うのですが…。
それとアイドルって
ファンに夢を売るのも
1つのお仕事だと僕は思っているのです。
でもAKB48グループは
ファンを失望させ続けてきたのではないでしょうか!?
そして僕は、アイドルにも人権があるように、
私たちにも人権はあるので、
そうなると私たち一般人も芸能人と
付き合えたり、友だちになれる権利はあるわけです。
ま~、芸能事務所としては
遊ぶなら芸能界の中だけで遊んでくれ、
という意味も僕としては理解はできるのですが…。
それと、須藤凜々花氏は
『我慢できる恋愛は恋愛じゃない』と言っていましたが、
確かに恋は盲目ですからね…。
だからNMBを取るか、恋愛を取るか、
二者択一になるはずが、
ファンを騙して、
発覚しなければNMBも恋愛もという
生き方には僕は賛同できなかった。
それはアイドルは恋愛するな!ではなくて、
ファンと約束したことは守れ!という
観点からね…。
ただ、芸能界は
たとえばフジテレビ系で放送されためちゃイケの
『第1回CKK芸能人遅刻総選挙SP
~まずは9時に来よう!話はそれからだ~』のように
中途半端な生き方をしていても
生きていける世界だから
須藤凜々花氏の場合は
これからもお仕事はあって
そこら辺は問題ないのかもしれませんが…。
この須藤凜々花氏問題は
ニーチ被れした須藤凜々花氏にも問題があったけど、
秋元康氏など周りの大人にも問題があったから、
そこら辺は救済してあげないといけない案件として
僕は捉えてきました。
なので須藤凜々花氏へ贈る言葉としては
しあわせになるために生まれてきたんだから、
好きな人と一緒にいなさい
(歌手・玉置浩二さんへ、母・房子さんからの言葉)
※朝日新聞2016年2月18日夕刊より引用
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そして、僕がAKBを支持し出した理由は、
AKBは盛り上がっているから
僕が支持しなくても良いんじゃない…と思っていたのですが、
AKBの卒業生(OG)がある番組に出たとき、
卒業後、思うようにお仕事に辿り着けないという
AKB難民の状況を知って、
これ以上、AKB難民を増やさないようにするには
在籍中にしっかりとした土台を築いて頂きたいとの願いを込めて
支持するようになったわけです。
要するに私はAKBのファンではないのです…。
で、AKBって
たとえば隣の家に住んでいるような普通の女の子が
何の取り柄もないけど
頑張っている姿に、
こんな俺でも支えられることが出来るんだったら、と
日本人の心につけ込んだ商法とも言えるわけです。
だから指原莉乃氏が、ある番組で
「オーディションで受かるためには?」という質問に対し、
『何もしてこないこと(何も取り組んでこないこと)』と
過去に答えていたように、
そういう子の方が日本人は応援したがるからね…。
だから1980年代のアイドルには
わざと音程を外させて歌わせた歌手もいたという
逸話があるほどですから…。
で、AKB路線と真逆なのは
日テレ系で過去に放送された『スター誕生』
「スタ誕」の応募総数は、
約200万通。
そのうちデビューできたのは、
わずか88組92人だ。
審査員だった中村泰士は、
こう振り返る。
「審査が厳しすぎると、
よく町中でお叱りを受けました。
でも芸能界を渡り歩く大変さを知っていたので、
よほどの覚悟がないと選べないという
思いの表れだった」
※週刊現代2015年1月3・10日号より引用
このように厳しい審査の中で、
この人だったら芸能界で生きていけると思って選んでも、
実際は芸能界に入った全員が売れたわけではない。
それと元サンミュージック会長の
相澤秀禎氏が亡くなった後に、
フジテレビ系で
「カスペ!『独占!昭和芸能界の真実
アイドル発掘王・相澤秀禎
~泣いて笑った人生最後の10日間~』」という
番組が放送されました。
その番組内でサンミュージックは
デビューまでに相当の時間を掛けて準備をし、
そしてどういう戦略で売り出すかまで練っていくそうです。
それでも売れなかった人はいて、
相澤秀禎氏は死の直前まで
本当に芸能界に誘ったのは
良いことだったのか?と
悩み苦しんでいました。
相澤秀禎氏の
『人の人生を扱っている』という強い責任感と
天塩にかけ愛情を注いで育てるマインドに、
私は涙なしでは見られない番組となったものでした。
で、むかしの芸能界は、敷居が高くて、
その敷居の高さを乗り越えて芸能界に入った人でも
売れない人も出ていたのに、
いまの芸能界は、AKB商法もそうですが、
売れるチャンスがありそうな人は
芸能界に入れてあげましょうと
敷居が低くなっている状態で、
言葉は悪いかもしれませんが
“数打ちゃ当たる”戦法と言えるでしょう。
で、敷居の高いむかしなら
門前払いされていたレベルの人たちまで、
いまの時代は芸能活動できたりするので、
芸能活動できること自体に
感謝する人も多いとは思うのです。
でも、たとえば、AKBの運営が
このメンバーをもっと売ることができなかったと
悔しい気持ちを引きずりながら
生きているかと言えば
僕にはそうは思えない。
それは「また、次、入れればいいさ」と、
“数打ちゃ当たる”感覚でいるからでは
ないでしょうか?
僕はそういう遊び感覚な
人間が嫌いなので…。
そしてAK48グループ以外の芸能界って、
たとえばファンクラブでも
入会金1000円、年会費4000円、
そしてイベントがあるとグッズを出したりと、
あなたの趣味娯楽費の一部を
私たちのアイドルにも使ってね、と
良心的な商法です。
しかしAKB48グループは
たとえば今月グッズに3万円使ったとしたら、
来月またグッズを作って
3万円使わせようという商法。
要するにお前のお小遣い(趣味娯楽費)は
ずっと俺たち(AKB)のものという仕組み。
たとえば選抜総選挙もスタートしたきっかけは
「秋元康は何も分かっていない」という
ファンの声を受けて、
『だったらファンのみんなで決めれば良い』とい発想で
スタートしたと伝え聞いています。
最初のころは
本当に遊び程度の感覚でしたが、
たとえば昨年の指原莉乃氏の
とあるファンは100万円使ったりと
遊びのレベルを超えていて、
さらに年を追うごとに
ファンの資金力で順位が決まるイベントとなってきています。
そして当初の目的と外れてきているので
たとえばAKBには
二本柱の会というオフィシャルファンクラブがあるわけですから、
二本柱の会の会員が投票する形でも
ファンの意見は反映されるのに
そういうことはやろうとしない。
なぜなら、秋元康商法は
・話題性があれば良い
・面白ければ良い
・お金になれば良い
だからです。
では、たとえばパチンコ・パチスロ業界は
パチンコ・パチスロは
適度に楽しむ遊びです。
のめり込みに注意しましょう。
※全日本遊技事業協同組合連合会のチラシより
と、自分たちさえ儲かれば良いではなくて、
お客さまの生活にも気を配るようになっていますし、
たとえば、たばこでも
喫煙は、あなたにとって
肺気腫を悪化させる危険性を高めます。
と、自分たちさえ儲かれば良いではなくて、
お客さまの健康にも気を配るようになっています。
では、たとえば、今度のAKB世界選抜総選挙では、
選抜総選挙は
適度に楽しむ遊びです。
のめり込みに注意しましょうなどと
言ったりしないでしょう。
ファンの生活なんてどうでもいい、
自分たちさえ儲かりゃいい商法には
僕はもう付き合いきれない。
それと昨年の選抜総選挙の会場が
沖縄になったけど、
台風が直撃する可能性が高い時期に
しかも屋外でやるなんて
私から言わせれば無謀な話。
でも秋元康氏は
偶有性を楽しもうとした気配が感じられました。
しかし、その遊びに付き合わされる方は
たまったものじゃない…。
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話は変わって、ここで
折々のことば 鷲田清一◆571
あっ、そうか。
自分で動けなければ、
誰かに動かしてもらえばいいのか
岡田美智男
何でもしてくれるロボットは、
介護を必要とする人を受け身にしてしまう。
逆に、すぐによろける不完全なロボットは、
目が離せず、人はついかまってしまう。
(後略)
「弱いロボット」から。
※朝日新聞2016年11月7日紙面より引用
むかしのアイドルって
たとえば山口百恵さんや中森明菜さん、
ピンク・レディーやキャンディーズなどは
アイドルとしての強さがあったけど、
AKBなどは逆で、
私たちは弱いんです。
だからみんなの支えがないと生きていけないんです。
と弱さを売りにしている。
たとえば、今年大ヒットをしている
ミュージカル『メリー・ポピンズ』のラストシーンには
こういうシーンがあったはずです。
ウィニフレッド・バンクス「メリー・ポピンズは?」
ジェーン・カロライン・バンクス「彼女は行ったよ」
ウィニフレッド・バンクス「行ったの? 急なのね」
ジョージ・バンクス「戻ってくるさ」
(中略)
ジェーン・カロライン・バンクス「メリー・ポピンズは戻らないわ、行ってしまったの」
ウィニフレッド・バンクス「どうしてそんなことがわかるの?」
ジェーン・カロライン・バンクス「なぜなら、私たちにはもう彼女が必要ないから。
そして、他の彼女を必要としている家族の許へ。
そうよね、ダディ」ジョージ・バンクス「良い子だ」
※ミュージカル『メリー・ポピンズ』より
このメリー・ポピンズのラストシーンや
【アメリカインディアンの子育て四訓】
・乳児は肌を離すな
・幼児は肌を離して、手を離すな
・少年は手を離して、目を離すな
・青年は目を離して、心を離すな
このアメリカインディアンの子育て四訓のように
普通は自律とともに手が掛からなくなるのですが、
AKBは強いアイドルを目指さず
いつまでも自分たちは弱いんです、と
弱さを売りにして
強くなろうとしないのなら、
それならお好きにどうぞの世界で、
私は知らないし、
もう支持もできない。
そういう様々な理由で
(ここに書ききれないこともありますが)
AKB48グループ(坂道を除く)は
支持できなくなったのです。
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