まず、はじめに、

日本が抱える主な外交問題について私は、

尖閣諸島問題については⇒こちら

北方領土問題については⇒こちら

竹島問題については⇒こちら

と過去に触れてきました。

 

そして慰安婦問題が最後となってしまったのですが、

この問題は本当にとてもデリケートな問題だからこそ

どういう表現を使って書いたら良いのか…、

悩みに悩んだ問題とも言えます。

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さて、日本人は戦国武将の話になると、

自分は誰が好きだとか

結構盛り上がったりするようですが、

実は私、歴史音痴なんです。

だから戦国武将のお名前ぐらいは

少しぐらいは知っているのですが、

その人がどういうことを行ったかとかまでは

あまりというかほとんどよく分からないのです…。

 

なぜ、歴史音痴なのかと言いますと、

学生時代、歴史を学ぶ必要性を僕は感じていなかったので…。

 

いまとなっては、

あれだけ集中して学べる時間を

無駄にしたな~とは思っていますが…。

 

ですから今回書く慰安婦問題も

歴史音痴の私にとっては、

実際にあったのか、なかったのかは

私にはよく分からないのです。

 

ですから私はよく分かっていないことについて、

実際にあったのか、似て非なるものだったのか、

なかったのかなどの言及ができる立場にないことを

まずは前置きとして書いておきたいのです。

 

さて、では今日私が何について書いていくかといいますと、

韓国人の感情をエスカレートさせてきた

日本人がとってきた2つの行動について

まずは、触れてみたいと思います。

 

まず、韓国側から慰安婦の問題が持ち上がると、

日本は「慰安婦問題はなかった」、

「戦後補償は終わってる」、

「慰安婦問題は日韓合意で解決済み」、

という発言が多く見受けられると思います。

 

ただ、この発言には、

まずクッションとなる言葉が無いのです。

 

クッション言葉とは、

10月8日のブログでも触れましたが、

たとえばお店に買い物に行きます。

そして探しているものを尋ねたときに、

店員から「うちには置いてねーな」と言われるのと、

『せっかくお越しいただいたのですが、

当店ではお取り扱いしておらず申し訳ありません』という対応では、

クッション言葉を入れた後者の方が受け取りやすくなると思います。

 

ここで、“クッション言葉”という言葉に

初めて出逢った人のために簡単に説明しますと、

クッション言葉とは、

ストレートに言ってしまうと

きつくなりそうな言葉も、

相手への配慮や思いやりを示す言葉を挟むことで、

相手への衝撃を抑え、

受け取りやすくする話術と書けば分かりやすいのでしょうか…。

 

そのクッション言葉が無いことが、

相手側からすると血も涙もない返事に聞こえ、

さらに韓国人の感情をエスカレートさせていると

私は感じています。

 

たとえば今年前半に、

失言王・麻生太郎氏が

セクハラ被害を訴えている人がいるにも係わらず、

「はめられて訴えられているんじゃないかとか、

ご意見はいっぱいある」

「セクハラ罪という罪はない」などの

発言を繰り返しました。

 

このときにセクハラ被害を訴えている人に対し、

寄り添うようなクッション言葉を添えることもなく、

デリカシーのない発言を繰り返したことについて、

怒りを覚えた人も多くいたと思いますが、

韓国人の感情をエスカレートさせてきたのも

同じようなミスコミュニケーションから

発生してきているとも言えます。

 

それと、たとえば、

ここ近年、ハリウッドでは

セクハラ問題が起きています。

 

このことについて、

「セクハラは問題あり」、

「セクハラにはNO」という賛同者たちは

一緒になって声を上げたりします。

 

しかし、慰安婦問題に関しては、

無かった、戦後補償は終わった、

日韓合意済みの発言をする人以外の日本人は

この慰安婦問題について触れようとはしません。

 

ただ、なぜ触れようとしないのかと言いますと、

日本人の多くは政治に関心がなく、

よく街頭インタビューとかでも

日本の総理大臣の名前さえ言えない人もけっこういるので、

この慰安婦問題も多くの日本人は

触れようとしないのではなくて、

よく分からなくて

この問題に触れられないだけなのです…。

 

しかし、韓国側からすると

そういう行為が“無視”されているように

感じられる(捉えられる)のかもしれません。

 

そして、いつまでも無視をするのなら

慰安婦問題があることを日本人が認めるまで

慰安婦像を作り続け

設置し続けてやると

感情がエスカレートしてしまっているとも

言えるでしょう。

 

ですから、たとえば山火事が、

マッチ1本から起きてしまうケースもあるように、

この慰安婦問題に関しては

日本の初期対応の悪さも

尾を引いているような感じもするのです。

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さて、少し話題を変えて、

犯罪被害者や

犯罪被害者を失った遺族などの

心の声を深く聴いていくと

みなさん同じ声が聴こえてくるのです。

 

それは事件、事故に遭う前の

状態に戻して欲しい。

 

この望みを叶えてはあげたいのですが、

残念ながら時間を元に戻すことができません…。

 

で、たとえばよく裁判で

懲役何年とか判決が下っても

「こんな軽い刑では納得できない」となるのと同じように、

慰安婦問題で日韓合意になる際に、

日本の総理大臣に謝罪して欲しいという韓国からの声に対し、

確か安倍総理は謝罪の言葉を述べています。

しかし、被害に遭った人やその遺族の人たちの

悔しくてたまらない無念さは

解消できるものではないので、

要望に応えても、更なる要望は現れ、

終わりはないのです。

唯一の解決策、事件、事故に遭う前の

状態には戻せないわけですから…。

 

さて、今年、韓国では

平昌オリンピック前に、

突然、南北合同チームが発表されました。

 

そして韓国人はこのことに対し

賛否両論起きたのですが、

この出来事からも分かるように、

たとえば日本では今、

北方領土2島先行返還などが

ニュースとして流れ、

世論の動向を掴もうとする動きがあるのですが、

韓国にはそういう事前に少し情報を流すというのが

ないような感じもしたりするのです。

 

だから突然発表され、

政府から「納得しろ」と言われても、

納得できない人も多くでるのも

それはそれで当然だと思うのです。

 

ですから慰安婦問題の日韓合意も、

あれで終わりじゃないと僕は思っていたのですが、

残念ながらその通りになってきてしまいました。

 

これは日本のように

事前にある程度情報を流して

国民の動向を掴もうとしない

韓国政府にも問題があると私は考えています。

 

こういう姿勢の国とは

今後何をやっても結局は覆されるように

なるのではないでしょうか!?

 

さて、世界の歴史を振り返ると

人類が未熟なときは、

慰安婦問題の他にも、

奴隷制度や

ナチス・ドイツがユダヤ人などに行った大量虐殺、

また韓国がベトナム戦争へ派兵したときのライダイハンなど、

悲しい出来事が世界では多く起きてしまいました。

 

これはまだまだ人類が未熟さゆえに起きた

残念な出来事ですが、

私たちは過去から学び、

同じ悲劇を繰り返さないことが

大切になってくると思うのです。

 

さて、日本では広島、長崎への原爆投下で

大変な被害を受けました。

 

そして私が住む横浜でも、

1945年5月29日に発生した

横浜大空襲で大変な被害を受けています。

 

さて、ここで韓国が行っている慰安婦像と

私たち日本人が取ってきた行動で

決定的な違いがあると私は感じることがあるのです。

 

始めに

慰霊施設──平和な時代の私たちに、

かつてこの地に戦争があったことを

教えてくれる碑である。

 

無数の人が炎や銃弾に倒れ、

命を失ったことを語り継いでくれる

物言わぬ証人である。

横浜大空襲、川崎大空襲とも

おびただしい人命が失われ、

地上に老若男女の遺体が散乱した。

 

その惨状を語り継ぐことを目的とした慰霊碑は、

複数存在する。

 

今では平和な横浜・川崎の、

思いがけない過去への道標となってくれる。

 

※はまれぽ.com『横浜大空襲と川崎大空襲の慰霊施設はどこにある?』より引用

そして横浜市内にある平和祈念碑は

横浜市営地下鉄の阪東橋駅を降りて

すぐの大通り公園内にあるのですが、

このオブジェの意味は

この後に触れる碑文の中でも紹介されていますが

『愛を持って世界の平和を祈念する』という

意味が込められています。

 

そして次にその碑文には

どういうことが書かれているかを

ご紹介したいと思います。

平和祈念碑 由来之記

 

1941年12月8日

日本軍の米国真珠湾軍港に対する奇襲攻撃により

大日本帝国は

連合国軍との間に戦端を開くに至った。

その後1945年8月15日に至り

わが民族の滅亡を憂うご聖断により

漸く敗戦の日を迎えた。

 

その間 三年九ヶ月余。

政・軍・官の情報統制の下

一般庶民は戦争の実相を知らされることなく

ひたすら盲従を強いられた日々であった。

戦線が次第に日本本土に近づくにつれ

米軍機による空爆は熾烈を極め

国内百数十の都市が軍事施設・民間施設の別なく攻撃を受け

非武装の一般民衆が多数犠牲となった。

横浜はこの間三十数回の空爆をうけた。

特に1945年5月29日白昼

当時世界最大級の重爆撃機B29五百余機

随伴戦闘機P51百余機の連合軍機により

市内は絨毯爆撃を受けること一時間余。

焼夷弾換算四十三万余発の投下により

市内は焦熱地獄の様相を呈し

非武装の民衆に万余の犠牲者を生ぜしめた

 

この地に戦火止みて既に四十数年の歳月が経過したが

残された遺族の心の傷は今なお癒えることはない。

当時を知る遺族も

その多くは鬼籍に入り

犠牲者達の恒久平和を希求する声なき声を伝うべき

よすがとて失われようとしているこの時

遺族縁類相倚り相扶け

私財を投じ

心ある市民の合力を得て

平和祈念碑建立を発願した。

 

祈念碑回廊中には犠牲者の姓名を彫刻し

そのアイデンタティを復活せしめ

共に手をたずさえて平和のメッセージを伝え

全世界において我らが子々孫々に至るまで

戦争の惨禍におびえることなく

恒久平和を享受出来る世界の実現を願い

惻隠の情を意味する「愛」と

飢餓のない世を理想とする「平和」の文字を

我らのいのちを支える「地球」に配して象徴とした。

幸い 横浜市会代表の正・副議長殿の賛同を得

国会・県議会有志議員諸賢

神奈川県知事殿の賛意を得た。

題字には 横浜市長 高秀 秀信殿のご揮毫になる

「平和祈念碑」の彫刻を付し

横浜市からは施設設置許可を受け

この地に恒久平和実現の為の一里塚として

この碑を建立した。

 

除幕式には

国際連合駐日代表殿

広島市長殿 長崎市長殿

世界各地のピース・メッセンジャー都市首長殿から

多数の献辞が寄せられた。

この人類至高の祈りが

志ある人々により継承発展され

犠牲者も平和の使徒の先駆者として

至福の時を

共に迎える日の近きことを信ずる。

1992年5月29日

横浜戦災遺族会

会長 池谷榮一撰

この平和祈念碑を読んでお分かりだと思いますが、

起きた事実は事実として伝え、

そしてアメリカを敵対視するなど

憎しみが連鎖しないような言葉を選び

二度とこういう悲劇が繰り返されないように

恒久平和を祈念しているところがポイントになります。

 

憎しみが連鎖すれば

終わりはなく、

悲劇が繰り返されることが

分かっているからです。

 

だから争い事がまた繰り返されないように

恒久平和を祈念していく姿勢は

日本人の優秀さの証明と言えるでしょう。

 

さて、2015年6月にフジテレビで放送された

「金曜プレミアム 池上彰緊急スペシャル!

知っているようで知らない韓国のナゾ」の番組内で、

かつてナチス・ドイツによって

ポーランドなどは国自体が無くなってしまったのですが、

戦後ドイツは必死に謝ったことで、

周辺国が「ドイツがあんなに謝っているんだから」と

言ってくれたおかげで、

今日のドイツとポーランドの関係があるわけですが、

当時ポーランドが取った姿勢は


(写真:フジテレビより)

『許そう、だが忘れない』。

 

日本もたとえば戦争では

たくさんの被害を受けていますが、

『許そう、だけど忘れない』の精神で

水に流せる部分は流してきたとも言えるでしょう。

 

しかし、残念なことに

日本と反日感情が激しい韓国や中国との間に入ってくれる

第三国がないことが戦後70年を越えても

いまだに問題を引きずっているとも

言えるのではないでしょうか…。

 

さて日本は、

たとえば先ほど挙げた平和祈念碑を、

アメリカ大使館の前には設置しませんし、

シベリア抑留者慰霊碑を

ロシア大使館の前には設置することはしません。

 

そんなことをすれば

また憎しみが連鎖してしまうこと、

そして、

韓国外相

少女像の設置「望ましくない」 国会で発言

【ソウル米村耕一】韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は13日、

釜山の日本総領事館前に慰安婦問題を象徴する少女像が

設置されたことについて

「国際社会では外交公館の前に

いかなる造形物も設置することは

望ましくないというのが一般的だ」と述べた。

国会で与野党議員の質問に答えた。

 

日本政府が少女像の設置は、

外交公館の品位保護を義務付けた

「領事関係に関するウィーン条約」に違反すると

主張していることを念頭に置いた発言だとみられる。

 

韓国政府は少女像の総領事館前への設置が

国際法や慣例上も好ましくないことは理解しつつも、

韓国の市民団体による設置を支持する世論との板挟みとなっている。

 

また、尹外相は「日本側は外交公館の前に

さらに一つの少女像が設置されたということに、

いくつかの理由で反発している」と議員たちに説明。

 

一方で、

「少女像設置そのものについて反対しているのではなく、

場所の問題について我々が

より知恵を集める必要があるということだ」と述べた。

※毎日新聞2017年1月13日電子版より引用

(原文⇒こちら

韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)氏も

昨年述べているように

外交公館の品位保護を義務付けた

「領事関係に関するウィーン条約」に違反するからですね…。

 

今まで世界各地に設置された慰安婦像は

韓国人の感情がエスカレートされた行為であり、

それがいつの日か「やり過ぎだったよね」と

韓国人の手によって設置数や設置場所を考えていくことが

望ましいと私は思うのです。

 

日本がいくら言っても

韓国人の感情が収まっていかなければ

問題は解決しないと私は考えていますので…。

 

それとフィリピンのマニラにあった

慰安婦像は撤去されました⇒こちら

 

これはフィリピンのドゥテルテ大統領が

『公共の場所に像を設置し、日本を侮辱すべきでない』と発言し、

憎しみの連鎖につながらないよう配慮した形であります。

 

さて、世界各地に設置された慰安婦像も、

二度とこういう出来事が起きないよう

平和を祈念するものなのか、

憎しみの連鎖を生み出すものなのか、

フィリピンのように判断をしていただきたいと

私は思うのです。

 

長くなってきましたが

つたえびとTVリポーターおまきが行く!

同じ過ちを繰り返さないことが、傷ついた人々への謝罪

事件を起こし、事務所からも解雇され、

第一線からも退いた。

 

地方でアルバイトをこなしながら、

それでも山本圭壱は、

どこにいても目立った存在だった。

 

デビュー間もない頃、取材した。

キレ芸が新鮮で、体から醸し出すオーラが

相方の加藤浩次とのコンビネーションで

笑いを生み出していた。

 

事件の後、

極楽とんぼはコンビとして、

もう再開はないという風が吹いていた。

 

ピン芸人として復帰を仕掛け、

花火を上げたときも、

なかなかうまくはいかなかった。

 

その間も、加藤はひとりで

懸命に仕事に邁進(まいしん)してきた。

心の隅に山本のことを

忘れたことはなかったようだ。

 

相方の愛情である。

 

空白の10年を経て、

番組で謝罪をし、

いよいよ復帰のシナリオは

出来上がりつつあった。

 

極楽とんぼの“謝罪ツアー”は

いつも大入り。

 

事件のみそぎは終わり、

温かい風が吹き始めていた。

 

「山本組」とまでいわれるロンブー淳はじめ、

後輩たちの支えが、

この10年間続いたのも、

その人柄によるものだろう。

 

本人は「小さいことから少しずつ」と

控えめに復帰を語る。

 

人を傷つけた分、

社会復帰することの難しさを知ったからだ。

 

そんな折、危険ドラッグを所持していたとして

酒井法子の元夫、高相祐一容疑者(48)が逮捕された。

 

あれだけの事件を起こし、

元妻にも散々な目に遭わせておきながら、

薬物から逃げられない情けなさといったらない。

 

同じ過ちを繰り返さないことが、

過去の過ちへの反省であり、

傷ついた人々への謝罪であり、

男の意地なのだと思う。

※夕刊フジ2016年11月25日号紙面より引用

この記事は、厳しい原稿の中にも

愛を忘れることがなかった芸能リポーター、

おまきさんこと武藤まき子さんのお言葉ですが、

罪を償った後は、

同じ過ちを繰り返さないことが、

過去の過ちへの反省であり、

傷ついた人々への謝罪につながって

いくのではないでしょうか…。

 

最後に、元徴用工訴訟問題にも

少し触れていきますが、

まず被害に遭われた方のことを思うと

言葉に表すことができないほど

私は辛い気持ちになり、

誠に遺憾ではありますが、

私はこの問題につきましては

日本政府が述べていますように

韓国への戦後補償は終えていますので、

もし私たちには何も償われていないという

被害に遭われた方がいましたら

それは韓国政府へ申し出るのが筋だというのが

私の私見になります。

 

まとめといたしまして、

日本で買う世界地図は

日本を中心にして描かれていますが、

ヨーロッパなどで売っている地図は

大英帝国イギリスを中心に描かれています。

 

ですからその地図では、日本は

ファーイースト(極東)という言葉があるように

世界地図の端にあります。

 

そして韓国も近隣国ですから

同じような位置にあるわけです。

 

そういう世界地図の端にある東アジアで

いがみ合っていたら

世界に東アジアありと言わせることは難しいので、

元より微力ですが私なりに取り組んでいました。

 

そして戦後生まれの世代で

何とか日本と韓国や中国と

新たな友好が結ばれられたらと思っていたのです。

 

しかし、私の望む方向とは逆に、

日韓関係は本当に厳しい冷え込みとなり

難しい局面を迎えてきています。

 

たとえば日本は戦後目まぐるしいほど

高度経済成長の発展を遂げてきましたが、

韓国はそこまで経済成長を遂げていないように思え、

もし私の能力で協力できるものがあれば、

東アジアの発展として

協力をする意思は私の中にはあるのです。

 

但し、マハトマ・ガンジーさんが使った

『握り拳と握手できない』の言葉のように、

日本に対して握り拳ではなく、

手を開いていただけないと…♡

 

何とか冷え込んだ日韓関係の改善になれればと思い

書いてみましたが…♡

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