今月、衆議院議員である丸山穂高氏の

「戦争発言」がありました。

 

そこで私は前回のブログで

戦争を面白がるのは、戦争を経験したことのない者だけだ 』というタイトルで

ブログを書きました。

まだお読みで無い方はこの機会に

ぜひ一度お読みくださいませ⇒こちら

 

さて、今日は

『日本で起きた3つの出来事から自衛隊力を考えてみる』という

タイトルで書いてみたいと思います。

ぜひ最後までお読み下さり、

温かい目で見守って頂けましたら幸いです。

①ヴィクトル・ベレンコ中尉・ミグ25亡命事件

冷戦時代の1976年9月6日、

ソビエト連邦軍のミグ25迎撃戦闘機が

日本の函館市に上陸をし、

亡命を求めた事件ですが、

その当時の模様を

2016年7月24日に

テレビ朝日系列で放送された

『世界瞬撮インパクター』という番組で

再現VTRも流されました。

 

このベレンコ中尉亡命事件とは、

高速で真っ直ぐ北海道へ向かってきた正体不明機を

日本のレーダーが捉えたので、

自衛隊は千歳基地からファントム2機が

スクランブル発進をしたのです。

 

しかし正体不明機は燃料不足から

高度を下げたためレーダーから消えてしまい、

そして見失い、取り逃がした正体不明機が

函館空港へ強行着陸を許してしまうという

事件だったのですが…。

 

この2016年にテレビ朝日系列で放送された

『世界瞬撮インパクター』の番組内で

国際ジャーナリスト・内田忠男氏は

国際ジャーナリスト・内田忠男氏
『ソビエトの当時の最新鋭の迎撃戦闘機が侵入してきて、
しかも超低空で函館空港という民間の空港に強行着陸したわけですから、
それに対して日本の自衛隊は一応レーダー網があり、
さらにスクランブルをしていた、にも関わらず、
何も防げないで、
分からないうちに函館に降りちゃった。
これはね、日本がいつ、
その日本の防衛網というのは
結局何もないじゃないかみたいな
驚愕があったと思うし恐怖があったと思いますね。』

※2016年7月24日、テレビ朝日『世界瞬撮インパクター』番組内より引用

と述べています。

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②北朝鮮ミサイル対応

北朝鮮のミサイルが東北の上空を抜けて

太平洋上に落ちたことは過去に

何回か起きています。

 

1998年8月31日に事前通告もなく

北朝鮮のミサイルが日本(東北)の上空を抜けて

太平洋上に落ちたことを最初に報道したのは、

日本でなく海外でした。

 

その海外で先に報道されて、

ざわつき始めたのが日本のマスメディア。

その時の日本の発表を僕の記憶の中では

『どうも北朝鮮のミサイルが

日本の上空を飛び越えていたみたいです』的な発表で、

「大丈夫か? 日本のレーダー網は?」と

自分は思ったものでした。

 

昨年か一昨年か忘れてしまいましたが、

池上彰氏の特番で、あの時、

「しっかりレーダーで追っていた」と言っていましたが、

後付けではいくらでも付け加えられる世界なので、

どうなのかな?としか私は受け止められませんでした。

③日航機墜落事故・米軍幻の救出劇

1985年8月12日、

日本航空123便墜落事故という

悲しい出来事が起きてしまいました。

 

そして月日が経った1995年9月25日に

テレビ朝日系列で放送された「ニュースステーション」の

番組内において

『日航機墜落事故・米軍幻の救出劇』という

特集が放送されました。

その特集の抜粋がこちらになります。

そして今一人の元アメリカ軍人が
10年の沈黙を破り救助の真相を語り始めた。

墜落のわずか2時間後には
現場上空に米軍ヘリが到着。
空前の救出劇が始まろうとしていた。

1995年8月、日航機墜落事故の真相を語る私記が
カリフォルニア州サクラメントの地元紙に掲載された。

私記を発表したのは雑誌編集長をしているマイケル・アントヌーチ氏。
元米軍空軍パイロットとして10年前、日本の横田基地に駐屯。
大型輸送機C130のナビゲーター、航空士を務めていた。

あの日JAL123便が発信した緊急信号は
帰路飛行中の米軍C130輸送機もキャッチしていた。

マイケル・アントヌーチ氏
『日航機の緊急信号を受けた直後、
JALの機長が管制塔と英語ではなく、
日本語で話しているのを聞いて、
これは一大事だと気づいたのです』

事実、運輸省がまとめた
事故調査書には6時31分、
管制官が日航機に
日本語で話しても構わないと指示している。

123便の機影がレーダーから消えると、
米軍横田基地司令部はアントヌーチ氏が乗るC130輸送機に
日航機の捜索を命じた。

マイケル・アントヌーチ氏
『巨大な山火事を発見しました。
あたりはちょうど夕暮れでしたが、
地面はまだ見える明るさでした。
燻る木や炎も見えました』

米軍による墜落地点発見の第一報は
日本の航空関係者に大きなの衝撃を与えた。

アントヌーチ氏が乗っている米軍輸送機は
現場の上空で旋回を続け、
情報収集に務めた。

マイケル・アントヌーチ氏
『8時半ごろ、横田からの連絡で
救難ヘリがすでに現場に向かっているというんです。
本当にうれしかった。
輸送機じゃ大きいばかりで
着陸できませんからね』

当日、アントヌーチ氏と同じ輸送機に
機長として乗っていたジョン・グリフィン氏は
現場の模様をこう語る。
『1時間ほど旋回をしていたら、
キャンプ座間から陸軍のヘリがやってきたのです』

アメリカ陸軍キャンプ座間には
当時4機のUH-1ヘリコプターが常駐していたと確認している。

ベトナム戦争でも活躍したUH-1ヘリコプターは
陸軍の救難活動には欠かせない
隊員一人ひとりが小型無線機を携帯し、
機体には物資や人員を吊り上げる装置が取り付けられている。

ジョン・グリフィン氏
『ヘリの乗組員は何とかして隊員を
地上へ降ろそうとしていました。
暗かったけれども、
あの状況でロープを垂らして
隊員を地面に降ろすのは、
十分可能だったと断言できます』

マイケル・アントヌーチ氏
『ヘリから無線で出来る限り低く降りたが
煙と炎が酷くて着陸できない。
少し離れた所なら
隊員を2人地上に降ろせるから
横田の司令部に許可をもらってくれと
言ってきたんです。
ヘリは梢から僅か15メートル以内の所まで
降りていました』

当日、キャンプ座間を飛び立ったヘリコプターと
直接交信したC130輸送機の副操縦士に接触した。

ゲーリー・プレイ氏
『この件についてカメラでのインタビューは
無理なんです。
私はまだ軍と深く関わっていますから…。
でも一つだけ言えることは、
あのときヘリは一刻も早く隊員を降ろそう。
生存者がいるか見極めて、
どんな救出活動が必要かを判断しようとしていたのです』

生存者、落合由美さんは墜落直後に
人の声やヘリコプターの音を聞いたと証言している。

落合由美さん(音声)
『あの、ヘリコプターの音が…。
ずっと手を振ってたんですけど、
でも、気が付いてもらえなかったのか、
ここまで来ることが出来ないのか、
と思いました』

ヘリは下に降下していくが
横田基地からは帰還命令が下る。

マイケル・アントヌーチ氏
『私は、何だって?
もう一度言ってくれと聞き直しました。
横田の司令部は直ちに基地に帰還せよと言うばかりです。
ヘリは隊員をロープで下に降ろす準備が出来ているんだ。
準備は万端なんですと言い返しました。
ええ、彼らは本気で降りるところだったんです。
司令部はついに日本側が来るのだ。
退去せよと命じました』

外務省は在日米軍が
日本国内で捜査、救難活動を行うことは
安保条約上何ら違法ではないとの見解を
示しているが、
アントヌーチ氏らが基地に戻ると、
上官からマスコミには何も喋るなと口止めされた。

日本の自衛隊は
この一件をどう受け止めているのか…。

当日、航空自衛隊の前線で総指揮を執っていた
元中部航空方面隊司令官、松永貞昭氏に聞いた。
『救助を断られたというのは、
私も聞いていないしね…。
だいたいそのUH-1が現場に向かったということも
その当日は聞いていない』

航空自衛隊は米軍ヘリが現場上空にいた
ほぼ同じ時刻に救難ヘリを発進させている。
ならば日本の自衛隊がヘリからロープで
地上に降りることはできなかったのだろうか?

元中部航空方面隊司令官、松永貞昭氏
『山の谷間になった所に
ヘリを降ろしていくわけですから、
そういうところでね、しかも真っ暗で、
周囲が分からない。
だから下が確認できないまま
ロープで降りると言ったらね自殺行為です』

夜間に山岳地帯に降りられるのか?
米軍の救難スタッフに聞いた。

米陸軍准尉、エドワード・ガーザー氏
『日航機墜落のような大事故が
真夜中に発生しても
我々はすぐ出動します。
陸軍のヘリにはサーチライトはもちろん、
夜間安置装置も80年代から
標準配備されています。
夜間など問題ありません。
急斜面への垂直降下ですが、
救難隊なら誰でも出来ますよ』

そして我々は日航機墜落事故を
長期に亘り取材してきた軍事評論家、神浦元彰氏と
御巣鷹山へ向かった。

急斜面を1時間ほど登ると
若木が茂る御巣鷹山のスゲの沢へ出る。

4人の生存者が救出された場所だ。

米軍ヘリからロープでここに降りられるのだろうか?

軍事評論家、神浦元彰氏
『あの、その米軍ヘリが着陸するというのは
無理なんですね、この地形から見ますと。
で、着陸はできませんけども。
50メートルぐらいのロープを垂らしてですね、
そのロープを使って降りてくるという方法はありますね。
やはりこの地形から見ますと、
稜線がひとつの目標地になりますね。
で、その人たちが
現場で何をするかと言うことになりますよね…。
彼らは無線機を持っているんですよ。
その無線機はですね、
ヘリと交信できるわけですね。
で、ヘリにはサーチライトが積んでありますので、
正確なピンポイントを
ヘリに連絡できるわけです。
大部隊での救助というのは明るくなるまで
待たなくっちゃならないんですけど…、
4時ぐらいには明るいんですね。
消防団とかあるいは警察、機動隊、
あるいは自衛隊とか各方面から集中して救助が入る…』

(当時のテレビ放送が流れ)
『現地ではどうなんでしょうか?』
『あの24時現在ですね、
地上からはまだ機体を見つけたという情報が入っていません。
そうしますと…』

捜索隊は苛立つばかりだった。

情報が錯綜し、墜落現場さえ分からないまま、
夜は深けていく。

翌朝、煙が立ち込める御巣鷹山に
空挺部隊がロープを使って降りたときには
事故から実に13時間半が経過していた。

その後、自衛隊、警察、消防団による
過酷な救出活動が続けられ…。

しかし、救難活動において、
初動の遅れは致命的だ。

防衛庁の見解を聞いてみた。

防衛庁は米軍ヘリの存在を認めていない。

アメリカ国防総省は
当時の記録が無いのでノーコメント。

だが我々が当時の在日米軍最高幹部に取材したところ
匿名を条件に以下の回答を得ることができた。

それは「事故当日かなり早い段階で
日本の自衛隊が米軍の救難救助を断った」というものだ。

自衛隊が米軍の援助を断る理由はあるのだろうか?

軍事評論家、小川和久氏
『自衛隊が断ったというより、
日本政府がそう判断したという問題だと思います。
ただ、事故の直後に私は
当時の日本政府の中枢にいた人から
直接聞いた話なんですが、
事故が起きてから約2時間の間、
首相官邸の中で、
警察が担当すべきか、
防衛庁、あるいは自衛隊が担当すべきかということで、
延々と議論が続いていた。
これは(救難活動の)主導権を巡る話でもあったわけですね…。
で、その間にですね、
キャンプ座間のアメリカ陸軍のヘリは
1時間以上前に御巣鷹山の上空にいたわけですから、
そこで救助活動が行われたりすれば、
まったく警察、自衛隊ともに
立つ手がなかった。
だから断ざるを得なかったというのは、
ごく、その意味では自然だったと言っていいと思います』

※1995年9月25日、テレビ朝日「ニュースステーション」より引用

3つの出来事から私が感じたもの…

1976年のベレンコ中尉亡命事件、

1998年の北朝鮮ミサイル対応、

そして1985年の日本航空123便墜落事故。

この日本で起きた3つの出来事を

今まで書いてきました。

 

こういうことを書くと、

日本の自衛隊は大丈夫なのか?

と思う人も出てくると思いますが、

自衛隊は『自衛のための

必要最小限の実力組織』という立ち位置なので、

これはこれでしょうがないことなんです。

 

そして取り上げた出来事から

月日は経っても

日本の防衛費が大幅に増えていない以上、

『自衛のための必要最小限の実力組織』というのが

維持されている状態というのが私の判断です。

 

さて、集団的自衛権のときに、

安倍総理が「一国では守り切れぬ」という

発言の裏側には、

『うそは常備薬、真実は劇薬。』という

河合隼雄氏の名言のような考えがあって

オブラートに包んで発せられた言葉と

私は理解しています。

[ 名言 ]
うそは常備薬、真実は劇薬。

[ 出典 ]
河合隼雄[かわい・はやお]
(臨床心理学者、元文化庁長官、1928~2007)

[ 意味 ]
真実は劇薬に等しいくらい人間に衝撃を与えるので、
人は嘘をTPOに合わせて使わなければならない。

※名言ナビより引用(原文は⇒こちら

なので、集団的自衛権のときに、

野党は「個別的自衛権があるから、

集団的自衛権を結ぶ必要がない」というのは、

きちんと自衛隊力を理解しての

発言だったのかは

聞いてみたい話ではあります。

 

そして“平和の党”と呼ばれてきた公明党が、

集団的自衛権について

賛成に回ったのは苦渋の決断の末だったと

私は理解していますが、

その後、公明党の支持率が落ちていることを考えると、

きちんとなぜ集団的自衛権について

公明党が賛成に回ったのか

公明党支持者への落とし込みが

未だに出来ていないように私には感じられます。

 

さて、麻生太郎氏は国会答弁で

「仮定の話には答えられません」と

何回も過去に仰ってきました。

 

私は『もしこうなったら…』と

仮定の話もします。

そして相手の仮定の話しにも

きちんと対応するのが真摯さだと私は思っています。

 

でも、麻生太郎氏は国会答弁で

「仮定の話には答えられません」と

何回も過去に仰ってきたのですから、

仮定の話には答えらないのなら、

仮定の話しもしないで、と私は言いたいので、

もし外国が日本を襲ってきたらなんて仮定で

言われても困りますので、

どこの国が日本を襲ってこようとしているのか

具体的な国名を挙げてお答え頂きたいと

私はずっと思ってきました。

 

さて、自衛隊は

『自衛のための必要最小限の実力組織』ですから、

“抑止力”としては

どこかの国と協力関係が無いと

国防としては成り立たないと私は考えています。

 

その理由として、

フィリピンという国は

アメリカ軍の駐留があったわけですが、

あるときアメリカ軍の駐留を止めました。

 

そうしたら何が起きたかと言いますと、

領有権を争う南シナ海へ

中国が進出して実効支配を始めたのです。

 

という事例からも分かりますように、

自衛隊だけではフィリピンの二の舞を踏むことにもなりますので、

抑止力としてどこかの国と

パートナーシップを結んでおく必要があると

私は考えています。

 

ですから、沖縄県は

第二次世界大戦末期に上陸戦に遭い、

その後も苦しい生活を余儀なくされていることは

私も多少なりに理解はしているつもりですが、

沖縄県民の「米軍はいらない」という主張には

私が賛同できないのは

そこら辺からです。

 

ただアメリカ軍が

「俺たちが日本を守ってやっているんだぜ」なんて

生意気な上から目線の態度を取ってくるのでしたら、

トランプ大統領の

「いかなるオプションも排除しない」や

「望まない駐留はしない」同様、

別に日本の安保は必ずしもアメリカと結ぶ必要はないわけで、

ロシアとだって、オーストラリアだって、

ドイツだって、フランスだって、

いかなるオプションも排除しない考え方をすれば、

どこの国とパートナーを結ぶか

選択権は日本にあるのではないでしょうか!?

 

本当にたとえばですが、

アメリカ軍にはお引き取り願って、

その後はロシア軍とパートナーシップを結ぶ。

そうしたら北方領土も帰ってきやすくなりませんか?

 

ただ、私は日本とアメリカの

長年のパートナーシップは生かしても良いというのが

今現在の私のスタンスになります。

 

しかしアメリカ軍の基地がある地域は

かなり辛い生活を長年余儀なくされていることも事実なので、

基地の軽減には取り組んでいく話し合いは今後も必要であり、

協力関係(アメリカ軍)への思いやり予算も必要ではありますが、

額についてはその時々で話し合っていく必要があると

私は考えています。

 

さて、いま公開中の映画『空母いぶき』は

私がイメージしてきた平和的解決方法と同じ考え方です。

 

日本は世界に類を見ない『戦争の放棄』が

憲法に書かれています。

そういう国に対して

客観的に見れば日本へ攻め込む理由も無いのに、

攻め込む国が現れたら、

必要最低限の自衛行為をしつつ、

国連軍の協力を仰いで

平和的解決を目指すというのが

私の考え方です。

 

ですから映画『空母いぶき』は

私の理想的イメージと合致しています。

まだ観ていない方は

ぜひ劇場でご覧くださいませ。

(ちょっとネタバレしてしまって申し訳ありませんが…)

 

さて、アメリカ軍は

どんな状況下でも結果が出せるように

訓練を受けています。

 

しかし、日本の自衛隊は

そこまでの訓練はされていないと

言えるでしょう。

 

ですから1985年の日本航空123便墜落事故でも

アメリカ軍だったら

もっと早く救助できたものを、

日本は自国の自衛隊力を国民に分からせないために、

アメリカ軍の救助を断っていたとしたら、

自衛隊の面子を保つために

人命を軽視したとも言えませんか!?

(墜落直後はもっとたくさんの声が聞こえていたと

生存者は言っていましたし…)

 

今後は(面子よりも)人命を最優先して

自衛隊で解決できないときは

勇気を持ってアメリカ軍などに

救助要請をすべきだと私は考えます。

 

最後に1985年の日本航空123便墜落事故では

先ほど挙げた「ニュースステーション」の番組内で

語られたこととして、

『事故が起きてから約2時間の間、

首相官邸の中で、

警察が担当すべきか、

防衛庁、あるいは自衛隊が担当すべきかということで、

延々と議論が続いていた。』

 

たとえば、縦割り行政の弊害を取り除くために

アメリカにはアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁があり、

ロシアにはロシア非常事態省があったりするのでは

ないでしょうか!?

 

と同じように日本も

縦割り行政の弊害をクリアするために

緊急事態省は必要ではないでしょうか?

 

以前、私は『原因追究、分析能力が劣る日本』というブログを

書いてきましたが、

日本には再発防止に徹底的に取り組む姿勢が

少し足りないように私は感じています。

 

石破茂氏提唱の防災省創設が

どのような構想かは存じ上げていませんが、

私が述べた緊急事態省と

同じような構想であれば

私は必要だと考えています。

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