陸上男子100mで
なかなか日本選手が9秒台へ突入できなくて
もどかしかったときに
こんな話を紹介したらどうかと思ったお話を
今日はご紹介したいと思います。
ライバルを気にせず泳げるレース展開を考えろ
元日だが、オリンピックの年。
正月休み返上で強化合宿中。「いよいよ、オリンピックの決勝レースまで後242日。
がんばるぞ!」と、
私ではなく監督の挨拶である。正月くらい休みにしてほしいと思うのだが、
監督は休まない。監督が泳ぐわけではないが、
意気込みが伝わってくる。私にとっても、4年間も苦しい練習に耐えたのだから、
ミュンヘン・オリンピックでは、
なにがなんでも勝ちたい。そのための強化合宿である。
「監督、何秒で泳げば確実に
勝てると思いますか?」「5秒の前半、世界新記録で泳げば
必ず勝てるはずだ!」自分で考えても、そりゃそうだと思った。
「お前な。ベスト記録を0.6秒速く
泳げばすむだけのことだぞ!」気楽に0.6秒と言ってくれる。
「そんなに簡単に記録は伸びませんよ」
「お前、その心構えがよくない。
スタートを0.1秒、ターンも0.1秒速くしろ。
前半0.2秒、後半も0.2秒、
速く泳げばすむだけの問題だ!」「計算上はそうなりますが、
はたしてそうなりますかね」「0.6秒速く泳げば、
ライバルに悩まされることもなくなるぞ!勝つか負けるかと想像すると心配になるだろ。
不安で嫌になるだろ。どうせ、レース中、
隣は見えないのだから、
ライバルなど気にせず、
マイペースで泳げるレース展開を考えろ!いいか、お前の戦う相手は、
人ではなく水である。いかに抵抗を少なくして泳ぐか。
スタートからゴールまでのムダを
いかに少なくするかを考えろ。0.1や0.2秒くらいのムダは、
いくらでも見つかるはずだ!」確かに、そこら中にムダな動作があると思った。
また、戦う相手が水と言われたことで、
レース展開で思い悩んでいる自分が
バカバカしく思えた。平泳ぎは、折り返しの時以外、
レース中は隣の選手が一身長以上前に出ない限り
誰も視界に入ることはなく、
見えた時には勝負がついているといえる。外国選手は体格や身長が大きいことから、
想像以上に強い選手と
思い込んでしまっていたように思う。戦う前から必要以上に
不安や心配をしてしまうと
負けてしまうことになる。見ることもないライバルを想像するから
おかしなことになると分かった瞬間に、
ライバルを頭から消すことができるように思った。※田口信教著『金メダルの壁―どのようにして金メダリストに育つのか』より引用
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さらにもう1つ
世界1位と県1位の違いはわずか5%
毎日、毎回、練習の前に
全員整列をして、
監督の話を聞く。長い話をする時もあるが、
短い話が多かった。「世界1位と県の1位とでは、
世の中の見方、扱い方に
大変な違いがある。しかし記録的には
5%の違いしかない。中学生の私の頭には、
パーセントで考える発想はなかった。「ウッソー!
本当にそんなに少ないのですか?」と聞くと、
監督は、具体的に世界新記録を上げ、
県新記録と比較して見せてくれた。「何ごとも、物の見かた、
角度や視点を変えて見ると意識が変わる。
世界新記録と、おまえのベスト記録と差は何秒ある?」「突然、聞かれても、
世界新記録が何秒で泳ぐのか知りません。
教えてください」監督から初めて世界記録の一覧表を見せてもらい、
「3秒5です」と答えると、
すかさず「パーセントにすると何%になる?」と聞かれる。私は正確に計算しないで
「約5%ですね」とおおざっぱに答えた。すると監督が
「5%腕の掻きを速くすれば済むこと。
難しく考えるな」と一言。そんな単純なものではないと思いつつも、
そんな気もしないことはないと
思えるところが不思議であった。確かに、5%腕の掻きを速くすることは
簡単にできる。水泳の基本は、抵抗のない姿勢で泳ぐこと。
水をたくさんキャッチできるスクリューを手に入れ、
そのスクリューを速く回し続けるという、
基本的には船と同じ三つの要素しかない。水の抵抗は体重を減らすだけでも大きく変わり、
水のキャッチも肩関節の可動範囲や柔軟性、
使い方しだいであり、
腕を少し速く回転させることは、
安売りの広告ではないが
腕力を強化すれば
“2割や3割は当たり前”に
速くすることは可能である。監督は、
「100mを泳ぐには腕を40回前後、
1回転約1.5秒。
1回まわすだけなら今すぐにでも
倍以上に速くできるはず。1回可能なら2回、3回と
数を増やすだけのこと。
がんばってやってみろ!」と
具体的に言ってきた。腕を少しでも速く回転させれば、
世界新記録も夢ではないと不思議にそう思えた。物事を角度を変えて見る、
方向性を変えて考えてみることが重要であることが、
よく分かった。昔も今も、新聞や雑誌、マスコミによる
世界のトップアスリートの扱いは、
天才、怪物、偉人といった表現が先行し、
特殊な人間として扱う傾向が強い。その表現だけから判断すると、
自分たちとかけ離れた存在と思ってしまう。世界新記録と1割や2割も
離れている種目はないのである。特に県レベルの選手が
客観的数値で世界の頂点との
比較などはしない。比較もしないで、
自分たちには不可能であると
思い込んでしまっているところに
問題があるのだ。※田口信教著『金メダルの壁―どのようにして金メダリストに育つのか』より引用
何か発想の参考となれれば幸いです。
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