今日から2018年がスタートしました。
そんな新年を迎えたなので
過去自分が書いた記事から
こんな話を再掲(一部アレンジ)したいと思います。
それは2015年5月5日に
NOTEでアップした記事で
タイトルは『価値を高める努力していますか!?』です。
それでは始めに、
乙武洋匡氏が2014年9月14日に
ツイッターでつぶやいた内容から
引用させていただきます。
先日行われた全米オープンテニスにおける錦織圭選手の活躍に
胸を熱くされた方も多くいらっしゃったことと思います。
本当に素晴らしい活躍でした。しかし、その影で車いすテニスの
国枝慎吾選手、上地結衣選手が
単複優勝という快挙を成し遂げていたことは、
あまり報道されることがありませんでした。これには、
「障害者スポーツが健常者スポーツよりも劣る
という意識がある証拠だ」と批判する声もあれば、
「たんにそのスポーツの歴史や競技人口の違いだ」と
当然のこととして受け止める声もありました。どちらの意見にも納得できる部分があり、
またどちらが正解というものでもないように思います。肝心なのは、健常者スポーツであれ、障害者スポーツであれ、
「競技自体が魅力的であるのか」
「コンテンツとして面白いのか」という点なのだと思います。観ていて面白い競技であれば、
人々の注目も集まるし、メディアへの露出量も増えていく。逆に観ていても退屈な競技であれば、
過疎化していく。だから、障害者スポーツの持つ魅力が、
健常者スポーツのそれに比べて圧倒的に劣っているのだとしたら、
現時点でのメディアにおける露出量の格差も当然のことと思いますし、
そうした状況を踏まえた上で「障害者スポーツも同様に扱え」と言うのは、
むしろ“逆差別”にもなりかねないと思っています。しかし、現状では多くの障害者スポーツが「知られていない」ため、
その判断を下すことが難しい状況にあると言わざるを得ません。たとえば、私は車椅子バスケを観戦しましたが、
そのスピード感と車椅子がぶつかり合う迫力に、
通常のバスケにはない魅力を感じ、
「また観戦したい」と強く思いました。この車椅子バスケが多くの人の目に触れた結果、
それでも「つまらない」と評価されるのであれば、
それは仕方がないこと。しかし、私の感覚で言えば、
その魅力に比べて、現在はあまりに
過小評価されているように思えてなりません。それは車椅子バスケだけでなく、
他の競技にも言えることなのかも。つまり、どちらが格上、どちらが格下と比べられる、
そのスタートラインにも至っていないというのが私の所感です。まずは、「多くの人に知られる」という意味で、
同じ土俵に立つことが喫緊の課題だと感じています。2020年、東京パラリンピックの開催が、
その契機となることを願っています。了※乙武洋匡氏ツイッター・2014年9月14日のつぶやきより
それと松本孝行氏の
「国枝慎吾は錦織圭よりも格下なのか」という記事は⇒こちら
さて、私としては、
ここで“価値”と“価値観”について
少し触れていきたいと思います。
たとえば、みなさんも100円ショップに
出掛けたことがある人が多いと思いますが、
100円ショップにはたくさんの品物が
並べられています。
その品物の中には
「こんな品物を本当に買う人がいるの!?」と
感じたりする品物もあったりすると思います。
でも、世の中に流通しているすべての品物には
どこかで誰かにとっては必要な物であると考えられたから
考案され、作られたものでありますから
存在するすべてに“価値”があると言われています。
要するに、
価値とは存在するすべてにあります。
そして価値観とは(三省堂 大辞林より引用↓)
いかなる物事に価値を認めるかという個人個人の評価的判断。
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ここで、たとえば、なでしこジャパン!
今では人気のある競技の1つになりましたが、
FIFA女子ワールドカップドイツ2011へ行く前は
空港への見送りも少数で
大会が始まる前までのなでしこリーグは
観客千人にも満たないスタジアムで
試合が行われてきましたが、
FIFA女子ワールドカップ優勝を機に
一気にみんなの見る目も変わってきました。
でも、大会が始まる前と優勝した後で
みなさんの見る目は変わりましたが、
元々、大会前から彼女らは価値ある存在だったのです!
たとえば、クリケットという競技、
日本ではあまり知られていませんが、
イギリスやオーストラリアなどでは大人気のスポーツ。
こういう例えからも、解るように、
存在するそれぞれすべてに価値はあるのですが、
価値観で見てしまうと、
フォーカスが当たっていなければ、
価値がないもの、格下と見下して
判断してしまう傾向が強い人もいるのが現状といえるでしょう。
さて、国民的人気アイドルへと成長したAKB48ですが、
東京・秋葉原にあるAKB48劇場で行われた
2005年12月8日の初公演へ
足を運んだ人は僅か7人でした。
でも、彼女らは、
7人しか集客できないアイドルというのを
受け入れたのでしょうか!?
受け入れていれば
今のAKB48は存在していなかったでしょう。
プロデュースする秋元康氏をはじめ、
関わるスタッフやメンバーが、
どのように価値を高めたら、
自分たちの評価が変わるか?
自分たちへ価値観が向くか?
試行錯誤、努力を続けたからこそ
今日のAKB48グループがあると私は思っています。
先ほど挙げたなでしこジャパンも
FIFA女子ワールドカップドイツ2011へ行く
空港での見送りも少数だったし、
なでしこリーグは観客千人にも
満たないスタジアムで試合をしたり、
赤字体質のクラブでは遠征費の不足分を
選手が自腹を切って埋めたりという状況もあったりしましたが、
だからといって、『自分たちって価値がないよなぁ~』と
劣等感や引け目を持つことなく、
試合では胸を張って堂々と自信を持って
自分たちは価値ある存在だと信じて
プレーされていたからこそ
結果がついてきたのではないでしょうか!?
ですから世間では
マイナースポーツといわれてしまう競技はありますが
私の中ではマイナー競技というのは存在しません。
すべて価値がある競技だというのが私の認識です。
さて、たとえば清掃業というと
大した能力の無い人がやる仕事と
捉えてしまう人がいるかもしれませんが
新幹線の清掃をするクリーンスタッフは
自分たちの仕事に誇りを持って価値を高めた結果、
CNNや欧米高官からも称賛が上がるほどになりました。
(写真:朝日新聞2014年9月6日夕刊より引用)
今までも書いてきましたように
自らの価値を高め、みんなの価値観が変われば
評価など変わる世界ということです。
そしてオセロのように
みんなの価値観を逆転できるのは
脚光(スポットライト)を浴びていないときに
どれだけの地道な価値を高める努力ができるか!?
ということだと私は思うのです。
でも、多くの人は、
たとえば観客席が埋まっていないと
やる気を無くし、全力を尽くさなかったりします。
そんな全力を尽くさない演技やプレーに対し、
人へどれだけの魅力を与えることが
出来るのでしょうか!?
一般人でも、そうですが、
相手にされていないから自分には価値が無いと
自己卑下に陥ったり
否定されたと捉える人も
今の世の中では多いかもしれませんが、
そういう人は、人からの評価で
自分の価値が決まると
思っているからではないでしょうか!?
岡本太郎氏の名言に
『人に理解されたり、
よろこばれようなんて思うな。
むしろ認められないことを前提として、
自分を猛烈につき出すんだ。』という熱いお言葉があります。
また、YOUTUBEで見つけた、
この『それでもあきらめなった偉人たち』に出てくる
偉人たちも
ここに出てくる偉人たちは
人からの評価を受け入れず、
自分の価値を高める努力を続けたからこそ
偉人という域まで到達できたのではないでしょうか!?
日本の芸能人でも、たとえば、大島優子氏も
彼女はAKB48で3列目まで経験し、その当時は、
テレビに出演しても一度も喋る機会が与えられなくても、
彼女は腐ることなく、
自分の価値を高める地道な努力を続けた結果、
ファンから支持されて、
センターのポジションを得ることができました。
“まゆゆ”こと渡辺麻友氏もAKB48の
最初のオーディションは不合格でしたが、
どうしても諦められなくて再度挑戦し見事合格を勝ち取り、
“みおりん”こと市川美織氏もAKBへ入る前に、
事務所を2回も首になったことを
とある番組で話していましたし、
女優として活躍している水川あさみ氏も
「実家のある大阪から東京まで通い、
CMやドラマのオーディションを受けまくっていたのですが、
落ちた記憶しかないほど
不合格続きでした」※朝日新聞2014年7月18日より引用
オセロのように人生を逆転できる人や
突き抜ける人って、
大概、周りからの評価を受け入れず、
自分には価値があると信じ、
自分の価値を高める努力を続けた人が
ほとんどということを理解していただきたいのです。
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また人との出逢いから開花した選手の例として、
現在、サッカー日本男子代表FWで
得点源となっている岡崎慎司選手について
触れていきたいと思います。
日本代表に不可欠
サッカー伝道師のブラジル魂《新連載1》
ノンフィクションライター 田崎健太日本はサッカー強国になったのか。
この問いについて、
いくつかの国から、答えを導くことが出来る。98年仏大会以来、日本代表は
3大会連続でW杯に出場した。10年南アフリカW杯の出場権も獲得するだろう。
しかしトップの国々との差はどうだろうか。昨年の北京五輪。
勝ち点1を挙げることも出来なかった。日本は確かに力を上げた。
でも他国のレベルも上がっている。欧州リーグは優秀な選手を世界から集めているが、
日本は流れに乗り遅れがちである。
岡田監督はW杯ベスト4進出を目標に掲げたが、
真実味は薄い。日本のサッカーを引き上げてきたのは
外国人の指導者たち、
特にブラジル人の指導者、
さらには選手たちである。彼らに世界と日本との差を尋ねてみた。
代表の最大の弱点は、
間違いなく得点力不足である。中盤の人材は豊富だが、
FWの軸が確定していない。フィンランド戦(2月4日)で2ゴールを叩き込み、
W杯最終予選バーレーン戦(3月28日)の
代表メンバーにも入った岡崎慎司(22=清水エスパルス)は、
昨年から今年にかけて、
最も評価を上げたFWだろう。岡崎の才能をつぶすことなく、
育て上げたのはブラジル人だった。「正直なところ、岡崎は
期待された選手じゃなかった」。鹿島アントラーズでプレーした
サントス(48)の言葉である。清水エスパルス、ヴィッセル神戸などでもプレーし、
03年に引退。
05年シーズンには、清水でヘッドコーチを務めた。「清水のコーチ時代、
ボクは単身赴任だった。
時間もあったし、通常の練習が終わった後、
若手を教えることになった」岡崎は、足元の技術が高い選手ではない。
そうした選手に対して日本人指導者は、
低い評価を与えることが多い。「大げさではなく、
当時は岡崎のポテンシャルを
ほとんどの人間が信じていなかった。でも、ボクは反対の意見だった。
岡崎のいいところは、
まずは体が強いこと、
そしてヤル気があった」サントスは、プロ1年目の岡崎を居残り練習に誘い、
特にシュート練習を繰り返しやらせた。「基本的なことだが、
GKのポジションを良くみること、
シュートを打つタイミング、
あと体の使い方。
こういったことを反復してやらせた」サントスが最も気をつけていたのは、
技術的なことよりも、
むしろ精神的なことだった。言葉の使い方――――。
これが、日本人の指導者よりも
ブラジル人指導者が優れている点のひとつである。サントスが言い続けた言葉が、
岡崎をより変えることになった。
(つづく)※日刊ゲンダイ2009年4月7日号から引用
さらに、
日本代表に不可欠
サッカー伝道師のブラジル魂《新連載2》
ノンフィクションライター 田崎健太鹿島アントラーズなどで活躍したサントス(48)が、
05年に清水エスパルスでヘッドコーチを務めていた時、
ひとりのFWに目を留めた。岡崎慎司(22)は、同じポジションで
早くから将来を嘱望された
平山相太(23=FC東京)などに比べると、
地味な存在だった。確かに派手な技術はない。
足が速いわけではない。ただ、彼が持っている身体の強さ、
豊富な運動量にサントスは注目した。そして、何よりも
“うまくなりたい”という気持ちを感じた。「おまえはできる。
おまえにはポテンシャルがあると言い続けた。洗脳というと言葉は悪いが、
若手に対しては自信をつけさせるために、
時に同じことを言い続けなければ
ならないこともある」岡崎が北京五輪代表に選ばれ、
フル代表にまでステップアップすると予想する人は、
決して多くなかった。
しかし、サントスは、
その数少ないひとりだったのだ。ブラジル人の指導者は日本人に比べて、
一般的に「言葉遣い」がうまい。それは「日本人監督よりも
シビアな状況で揉まれてきたから」と
サントスは考えている。「ブラジル人指導者は心理的な面を
重視する傾向がある。
たとえば下部組織を指導している時、
プレーが冴えない子供がいるとする。
原因は、単純にサッカー以外にあることが
ほとんどなんだ」サントス自身、ブラジルの名門ボタフォゴの
下部組織で指導していたことがあった。
必ず2,3人の選手は食事をとらずに練習にやって来た。
彼らの家庭は、経済的な問題を抱えていた。「彼らの家庭で何が起こっているのか、
感じる力が必要になってくる。
指導者はサッカーを教えるだけでなく、
心理学者やソーシャルワーカーにならなくてはいけない」日本では、そうした問題は
ブラジルに比べると少なく、
精神的な問題解決について軽視している面は多い。
サントスはこう指摘する。「精神的な問題というのは、
先進国、発展途上国を問わず、
誰でも抱えているはずなんだ。
同じ人間なんだから。
特にサッカー選手として成長する年代はそう。
でも、日本人指導者の中には、
そうした問題を感じる力がない人間もいるようだ」振り返れば、日本にも
「大器」として期待されながら、
伸び悩んだ選手は多かった。日本では若手が少し活躍すると、
“何年にひとりの逸材”と持ち上げる。その結果、自分の能力を過信して舞い上がり、
つぶれていった選手がどれほどいたか。昨今、日本も格差拡大が進み、
かつての総中流意識のような
均一的な社会システムは崩れつつある。サッカーの才能はあふれるほどあるが、
精神的もろさを抱える若手は、
これからもっと増えるだろう。ブラジル人指導者に学ぶことは、
まだまだあるはずである。※日刊ゲンダイ2009年4月8日号から引用
ただ、こういう成功例だけを書くと
自分にもシンデレラ・ストーリーが待っていると
楽観的な気分で思い込む人もいますが
(写真:『 [図解]武士道 逆境に負けない不屈の精神、何事にも動じない心を鍛える』より引用)
この写真の右側のように
寝転んでいて好都合な話が
舞い込むケースはほとんどないと言ってもいいでしょう。
ですから私も当然、左側のように
日々、自分の価値を高める努力を陰で続けています。
さて、相田みつを先生の作品で
道は一本
単純でまッ直ぐがいい
何かを欲しがると
欲しがったところが曲がる
道は一本まっすぐがいい(相田みつを)
というのがありますが、
目標がぼやけてしまいますと
曲がりたいところへ
曲がって行ってしまいます。
たとえばAKB48の1期生として活躍していた
平嶋夏海氏は、ある一件で
AKBを辞めざるを得ない状況となったしまったのですが、
その一件が起きてしまった心境として
「DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain
少女たちは涙の後に何を見る?」の中で、
『高校を卒業して、
学校へ行かなくなった時間を
持て余してしまって
なんかそれを、暇なのが
すごく、寂しかったのを
埋め合わせてしまったのかな?って思います・・・』※「DOCUMENTARY of AKB48 No flower without rain 少女たちは涙の後に何を見る?」より引用
と語っています。
ただ、セイントフォーというグループが歌った
Rock’n Roll Dreams come throughという曲の中に
若い過ちは仕方のない罠
貴方は何をとまどう
※曲『Rock’n Roll Dreams come through』
アーティスト:セイントフォー
作詞:Jim Steinman
作曲:Jim Steinman
訳詞:松本一起
編曲:馬飼野康二
という歌詞があるのですが、
若さゆえに誘惑に負けてしまう場合も人間ですから
あるのはしょうがないと私は思っています。
ただ、自分がなるべく判断ミスをしたくないのでしたら、
他人の失敗事例も記憶に残しておくと
いいのかもしれません。
そして今は特に誘惑を誘うものが多い時代ですから、
自分の価値を上げていきたい人は
誘惑に負けない強さも時には必要となってきます。
(平嶋夏海さんへ
あまりいい例題でない件で登場させてしまって
申し訳ありませんでした)
さて、少し話を変えますが、
よくニュースで
「将来が不安・・・」という国民の声は
よく聞かれます。
では、その不安を解消できるものがあるとしたら
「自分は毎日、少しずつ改善し続けている」という自覚だけが、
人生で唯一の安心感の源だ。(アンソニー・ロビンズ)
これはアンソニー・ロビンズ氏の言葉ですが、
日々自分の価値を高める努力を続けていくことだと私は思っています。
でも、多くの人は学校を卒業し、社会人になったら
学ぶことを止めてしまっていませんか?
でも、優秀な人は生涯学習者として学び続け
自分の価値を高め続けています。
さて、みなさんは、
ジャック・ウェルチ氏という方を
ご存じでしょうか?
彼はGE社の最高経営責任者を務めたりし、
そこでの経営手腕から『伝説の経営者』とも
呼ばれている人ですが、
2014年10月に『COMPANY Forum 2014』というイベントが
株式会社ワークスアプリケーションズ主催であり、
私も興味がある話があったので視聴してきました。
その中の1つに
COMPANY Forum 2007のKEYNOTEで限定公開された
『ジャック・ウェルチの戦略的思考』のVTR上映がありました。
なるべく正確にお伝えしたいので、
リクナビnextJOURNALのウェブページに
対談の詳細が載っていましたので、
その中から「ロイヤリティの必要性について」というテーマについて、
引用させていただきます。
同VTRは、アメリカのフォーシーズンズホテル・ボストンにて
2007年10月3日(水)に行われたGeneral Electric社の
元会長兼CEOのジャック・ウェルチ氏と、
ワークスアプリケーションズCOOの
阿部孝司氏の対談を記録したもの。■ロイヤリティの必要性について
阿部:日本は経営者のロイヤリティが非常に高い国民性で、
そういった経営がこれまで成り立っていました。
しかしながら、年功序列制や終身雇用制が崩れてきており、
そこで問題になっているのがロイヤリティです。多くの経営者は今、ロイヤリティが
なかなかハンドリングできない状況にあります。
ロイヤリティの築き方について、
アドバイスいただきたいのですが。ウェルチ:日本でロイヤリティが崩壊していることは
良い兆候だと思います。私は常々、組織のロイヤリティについて疑問を抱いており、
アメリカで年功序列や終身雇用について
批判的な発言をすることで物議を醸してきました。よい労働環境を提供すること。
目標達成の機会を与え、
社員にチャンスを与えること。年功序列ではなく、
仕事の成功や優れたパフォーマンスで報酬を決めること。それらの能力主義によるメリットを、
経営者は社員にオープンに話せば、
社員は経営者に対してベストを尽くすという契約関係を結びます。私はロイヤリティはむしろ捨てたほうがよいと思っています。
よい仕事をすることとは、毎朝出勤し、
会社に顔を出すことですか?勤続年数が長く、出勤日数が多く、出勤態度がよいことが
仕事のパフォーマンスがよいといえるのでしょうか。私は、それらは一切関係がないと思っています。
そもそも、「忠義を誓ったのに」と
ロイヤリティを口にする人は、
パフォーマンスに問題があります。最も有能な社員がこれまでロイヤリティを
口にしたことがありましたか。
ありませんよね。それが答えです。※リクナビnextジャーナルより引用
(全文⇒こちら)
この後、インタビューアは言葉を失ってしまうのですが、
僕はこのやりとりを見て『確かに~!』と思ったのは、
有能な社員は自分の価値を高める努力や、
自分に投資して、たとえば自己啓発に励んだりしているから、
別にロイヤリティを口にしなくても
高く評価されていくので
特にそこら辺が問題にはならないからでしょう。
やっぱり、アメリカは
たとえば、第35代アメリカ合衆国大統領の
ジョン・F・ケネディ氏は大統領の就任演説で
米国民の同胞の皆さん、
あなたの国があなたのために
何ができるかを問わないでほしい。あなたがあなたの国のために
何ができるかを問うてほしい。(ジョン・F・ケネディ)
という発言を残していますし、
第32代アメリカ合衆国大統領の
フランクリン・ルーズベルト氏は
軽い荷物にしてほしいと
願ってはいけない。強い背中にしてほしいと
願わなくてはならない。(フランクリン・ルーズベルト)
という発言を残しているように、
自律を促しています。
でも、日本は、どの政党も
「私たちがどうにか国民の生活を良くします」ばかりでは
ないでしょうか!?
本来なら「我が党もみなさんの賃金が上がる努力や
生活が向上する努力をしていきますが、
国民一人ひとりも自分の能力を高く売るために
自分の価値をさらに高める努力をしていただきたい」と促すべきですが、
国民へ負担が掛かることを言うと
支持率が下がるから逃げてばかりでどの政党も言わない。
たとえば安倍晋三首相は「自助、自立を第一に」と国会で答弁したり、
自民党も、自助、共助、公助などの言葉を使ったりはしますが、
国民に強く求めることはしないし、
そういう国を目指すような
サポートをしているようには私には見えません。
なぜなら、国民一人ひとりが本当に自律してしまえば、
別に自民党へ入れなくてもいいでしょ。
「自民党様のおかげでお仕事頂けています」という関係を
維持していたいからではないかと私は感じているのです。
でも、本当に強い国というのは
国民一人ひとりが自律している状態で、
そういう人たちから選ばれる政党ではないでしょうか!?
だから私は、
日本は強い国とは残念ながら
まだ言えないのが現状です。
それとこれは補足ですが
どうしても自律できない人も実際にはいて、
そういう人は最終的に助けていかないといけないという考え方ですが、
基本的には一人ひとりに自律してもらうことだと私は思っています。
さて、『どんなに貧乏しても、
どんなに苦労しても、それがシミになってはいけない。』は
ヴァイオリニスト・辻久子氏の名言です。
いま、正社員化を訴える政党もありますが、
私は、アルバイト、契約社員だった人が
正社員になったとしても、
元々、アルバイト、契約社員で対応できていた職種ですから
そんなに賃金が上がるわけではないと
私は見ているのです。
だとしたら、たとえば、若新雄純氏が
新たなワークスタイル「ゆるい就職」を提唱していて、
私もこういうスタイルに同感なんです。
詳細については⇒こちら
生活費、活動費を、とあるお仕事で稼ぎながら、空いた時間で
自分の夢を追ったり、自分の価値を高める努力に使って、
次のステージにつなげる方が得策だと私は思うのです。
もちろんリンク先に書いてあったように
空いた時間を余暇に使うのもいいでしょう、
どこまで頑張るかは自分次第ですから・・・。
でもトップにいるほとんどの人は
生涯学習者として勉強し続けて
自分の価値を高める努力をしていますので、
自分の価値を高める努力をしないせいで
他の人と差が開いたとしても
それを妬むのは筋違いだと私は思うのです。
なぜなら、彼らは、あなたが努力をしていないときに、
価値を高める努力を続けて掴み取った結果なのですから・・・。
こういうことを書くと、
元々自分には才能が無かったという人も現れてきますが、
むかしに比べると情報発信のツールが増えている分、
価値の創造は簡単に創りやすくなっています。
たとえば料理が大好きで
そのレシピをブログに載せていただけなのに
出版の依頼が舞い込んだり、
youtuberやvineの女王なども
誕生していることも考えると・・・。
最近では
登美丘高校ダンス部がyoutubeで有名になり
昨年(2017年)の紅白歌合戦にも出場したり、
ダンス部主将の伊原六花氏が女優へスカウトされたり⇒こちら
さて、ここで、
2つの記事を紹介させていただきます。
朝日求人
仕事力
「あなたを育てるのは自分だ」
秋山進が語る仕事―3あの人に聞け、を目指そう
どんな仕事でも
技術職である全体の雰囲気を大切にする
「サークル仕事人」が多いのではないか。その傾向は強まっていると思います。
昔のような腕で生きる職人とか商店経営者が減って、
大方が給与所得者ですから、
その息子、娘たちは大過なく
周りとうまくやっていくことが重要と教わって育った。所属集団の価値観の同質化は進み、
相互に拘束し合っているのが今の会社の姿でしょう。例えば期待の大きかったスポーツ選手が
失敗して賞を逃すも、
立ち直って見事な活躍を見せると、
翌日は日本全国一斉に「よく頑張った」というトーンで
埋め尽くされる。そこで「でも賞は取れなかったですよね」とは
誰も言えない雰囲気(笑)、
同調しない人は疎ましがられるんですね。そういう環境の中で、
しかしこのままでは何か物足りない、
自分らしい仕事ができていないと考えるなら、
「一流の技術者になろう」と私は言いたい。技術者というのは、
何も理系だけではなく文系も含めて、
営業、経理、人事など専門領域を極める仕事人のことです。優秀な経理担当者は、
数字を一目見ただけで間違いも隠された意図も分かる。頭の中に体系があり、
過去の数字も覚えているから、
「うまく操作していますが、
営業部のこの好成績は一時的ですよね。
会社のために、こんなことは許しませんよ」と
見抜いてくる。どんな分野でもいい、
あの人に聞けば間違いないという存在に
なりたいですね。会社に残るか外に飛び出すかが問題ではなく、
自分なりにやりたいことで技術を研いでいくかどうか。その技術で、勤め先や、あるいは社会に
貢献する矜持(きょうじ)を持つかどうかが大事だと思います。自分取材をして
ピースを増やしていくそうは言っても、私自身も
専門領域の選択には長く悩まされてきました。仕事の領域で好きなことを
探し当てるのは意外に難しい。キャリアの教科書には「自分がやりたい、
将来有望そうな領域へ目標を決めて努力する」か、
「目の前の仕事に真面目に取り組む中で偶然に出合う、
エネルギーを注げる領域を探す」か、と
二つのアプローチが書かれています。私の場合は、好奇心が旺盛なために
やってみたいことが次々と現れ、
活動範囲が拡散してしまった。さすがにまずいと考え、
今度は領域を小さく限定して専門知識を追求してみたり、
あるいは経験したこともない分野に挑戦してみたり。そうやってありとあらゆる業務を経て、
今までの経験と思考のすべてが経営資源として
活(い)かせるリスクマネジメントという領域にたどり着きました。「役に立つ」と言ってもらえる、
だからこそもっと腕を磨きたいと思う。技術は自分を決して裏切りません。
若い頃から、仕事について迷ったり、
腹が立ったり、他に方法はないかと苦戦すると、
私は「取材モード」という習慣で切り抜けてきました。「秋山さん、ほんまはどうなんですか?」と自分に対して、
反対意見や細かいところまで突っ込むような取材をしてみる。すると立ち止まっている時とは違う視点が生まれる。
こういう棚卸し、自分の洗い出しも仕事の助けになります。(談)
※朝日新聞2014年4月13日より引用
(ウェブでの記事は⇒こちら)
もう1つは
朝日求人
仕事力
「今日は、今日の力を振り絞る」
安藤桃子が語る仕事―2目立つからすごいのではなく
映画の現場は
社会の縮図映画の助監督時代には
「ポジションの責任」ということを強烈に実感しました。映画の現場では監督を中心にピラミッド型の
厳密な部隊ができ上がっています。その部隊を包み込むように芸術をつかさどる
「映画の神様」という存在がある。その元でみんな自分の仕事を
真剣にやり抜いているという感覚が、
良い現場には確実にあります。最高の映画を神様に奉納するんだ!というような(笑)。
「良い現場」には、例えば撮影で
役者さんが素足で道を歩く場合、
けがをしないように助監督が
まず自分で裸足で歩いてみて、
ガラスの破片や小石などを地面にはいつくばって
一つ一つ取り除くといった仕事がある。「犬のフンが邪魔だ」と言われれば、
汚いとかと考える前に
瞬時に素手で取り除くなんて当たり前。自分のポジションの中で
全力を使って取り組めという、
無言の重圧がありました。仕事場で明確な目的があれば、
人は何をするべきかが分かる。社会は、そういう自分のポジションへの真剣さが機能して、
バランスが取れているのではないでしょうか。監督も有名俳優もお弁当配りも、
支えるスタッフがいるからこそ成立するのが映画の現場です。そこにいると、社会の本質が見えてくるような気がします。
私は自分が主宰するワークショップで、
主役をやりたがる子にはあえて
地味に思える記録係をさせます。最初はがっかりするんですが、
徐々にやる気を見せるようになる。主役だけでは映画は成立しない、
それぞれの役割を知ることが必要だと思います。今の時代、ある意味誰でもネット上でスターになれますが、
生涯を通して自分が満たされる、
そういう目標を持つことが必要ではないでしょうか。「その道で一流になる」
という英国の仕事魂高校生の頃、留学していた英国で
ワークエクスペリエンスという仕事体験カリキュラムがあって、
私は子どもが好きなので保育園を選びましたが、
一日やったらもう翌朝ベッドから動けない。大した仕事量ではなかったはずなのに、
社会に出て働くということが
どれだけ精神的にも肉体的にも大変かということを体験できました。今、日本の若い人が苦労して就職し、
期待していたことと現実とのギャップに悩まされ、
できないことが自分の能力不足だと思い込んで
挫折してしまうのは、本当にもったいないですし、
悔しいことです。こうでなければいけない、
という社会の強制的価値観に合わせるのではなく、
自分自身のポジションを発見することが大事だと思います。「ねばならぬ」は忘れて
「なるがままに」の精神で前進できればいいですよね。どんなに小さな仕事でも、
どうせやるならその道で一流を目指せ、
という英国人の考え方に私は感銘を受けました。その仕事を極めるという誇りを持って、
技術でも接客でも誰にも負けぬ努力をする。日本人は元々かなり独創的な民族。
どんなことがあろうとも
独自の発想で復興してきた歴史があります。ニッチな分野でいいじゃないですか、
もっと自分なりのとんでもない仕事に
胸をときめかせたらいいのではないでしょうか。(談)※朝日新聞2014年10月5日より引用
(ウェブでの記事は⇒こちら)
小林一三氏の名言で
下足番を命じられたら、
日本一の下足番になってみろ。そうしたら、
誰も君を下足番にしておかぬ。(小林一三)
というのがありますが、どんな職業であれ、
たとえば前述した新幹線の清掃をするクリーンスタッフのように
自分の価値を高める努力を続けていけば、
(日本人は才能を見抜ける人が少ないのは残念ですが・・・)
人の目に留まることは多々ありますし、
それがきっかけで次へつながるケースもあります。
また、私は以前『Less is More・・・』というブログを書きました⇒こちら
Less is More・・・
順不同で書いていきますが、
高倉健さん、
明石家さんまさん、
北野武さん、
所ジョージさん、
高田純次さん、
タモリさん、
柄本明さん、
大滝秀治さん、
西田敏行さん、
阿部サダヲさん、
香川照之さん、
堺雅人さん、
いっこく堂さん・・・・・・・、
上記に挙げた人たちは、ほんの一例ですが、
共通点は、独特の雰囲気や独特の演技や芸という、
この人しか出せない世界を持っている人たちといえる感じでしょうか。Less is More
(少数なほど、価値がある)先日、たまたま
“Less is More”という言葉に触れる機会があり、
芸術や芸能界などは特に自分の個性(魅力)がないと
つまらないし飽きられて淘汰されていく世界だから
確かにそうだよなぁ~と思えたその日の夜でしたが、
“Less is More”という言葉に
みなさんはどのように感じられましたか?
自分を極めて行く道や世界は、1つだけでなく
人それぞれです。
ですから、自分に合う道を選び、
価値を高めていくことが大切ではないかと・・・。
でも、もう挽回をしていく歳じゃないという人も
いるかもしれません。
では、この記事『「遅咲き」成功者の共通点』を
読んでみてはいかがでしょうか!?⇒こちら
それとアンソニーロビンズ氏が
『人生がする経験は
すべて価値があるということを思い出してほしい。』と
述べていますが、
たとえば僕は過去にイップスに2回かかっています。
あの当時はとても辛い体験でしたが、
今では、どういう心理状態になれば
イップスに陥りやすいかを肌感覚で掴んでいるので
とても価値のある体験へと変わっています。
と同じように、
一人ひとりバックグラウンドは違います。
ですから、あなたは大した経験と捉えていない経験でも、
もしかすると、価値ある貴重な体験なのかもしれません。
さて、あらゆるすべてのものに
価値があることはお伝えしてきました。
長くなってきましたので
最後にしていきたいのですが
『平等の欠点は、
誰でも自分より優れた者とのみ、
平等になりたいと願うことにある。』という
フランスの劇作家、アンリ・ベック氏の名言がありますが、
一番最初に挙げた例のように
たとえば、記事に取り上げる扱いに差があるとか、
たとえばHKT48が
ミュージックステーションに出演したときに、
他のメンバーを推しているファンから
名ばかり管理者みたいな位置の劇場支配人・指原莉乃氏のツイッターへ
『もっと他のメンバーにも話を振って』とか、不平不満の
声が上がるのはファン心理を考えれば
よく私も理解はできるのですが、
ここで、2008年の秋に、
プロ・セラピストの石井裕之氏の
確か、最後のトークライブというのがあって、
それに参加したときの質問コーナーで
ある人から、「石井裕之氏のような
ベストセラーを出したい」という質問があって、
やりとりをしていく過程で、
「売れなくてもいいから本を」という質問者の発言もあって、
石井裕之氏が話した内容が、記憶の限りですが
こんな内容だったと思います。
よく、言われるのは
自分は正しいことを書いた。
だから、売れなくてもいいから
本を出したいという人がいる・・・、これは大変な思い上がりだと思う。
本一冊、書店に並ぶ前に
どれだけたくさんの人の血と汗があるか!?
ということなんですよ・・・、たとえば石井裕之(作者)だけじゃなくて
たとえば編集の人も
心を込めて読んでもらう読者のために
一生懸命やってくれる、営業さんの人や
書店さんの人も
もちろん読者のみなさんとか
本当にいろんな人たちの
生活が掛かって
一冊の本が出来上がっているんですよ。それを、この本が売れなくてもいいんだというのは、
ダメですね。つまり本当に正しいことを書くのは
必要だと思います。だけどビジネスサイドから考えれば
売れてこそ本当だと思います。それによって、この本に関わってくれてる、
僕の考えを世に出してくださっている人たちの
期待に応えることができるわけです。だから陥ってほしくないのは
僕は良い本を書きます。
だから売れようが売れまいが
どうでもいい、ではなく
正しいことを書くんだったら
それは売れなければいけないんだ!
という本を書かなければいけない。※2008年秋、石井裕之氏、最後のトークライブ内より引用
この話からも分かるように
そこに関わる人たちの生活がかかっている以上、
やはり売れないとダメなんです。
ですから、自分が取り上げて欲しいと願っているものが
小さい扱いをされていると不満を抱いている人は
人の価値観を変える努力を続けていくしかないのです。
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