今日のブログ・タイトルで挙げました
戦争を面白がるのは、
戦争を経験したことのない者だけだ。
(ピンダロス)
これはピンダロス氏の名言ですが、
戦争は勝っても負けても、
多くの尊い命が犠牲になり、
暮らしも破壊されます。
ですから世界各国が20世紀から学んだことは
平和的解決を目指すということでしょう。
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しかし先日、当時「日本維新の会」所属だった
丸山穂高衆議院議員が、
北方領土へのビザ無し交流訪問団に同行していた11日の夜に、
元島民であり訪問団の団長であった大塚小弥太氏へ
「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか、反対ですか?」
「戦争しないとどうしようもなくないですか」と
酒に酔いながら発言した問題は
一言で言うと幼稚でしかないと
私からは言えます。
戦争を知らない人間は、
半分は子どもである。
(大岡昇平)
戦争は、その経験なき人々には甘美である。
(ピンダロス)
丸山穂高氏の発言は
勝つことしか頭にない感じで、
日本は太平洋戦争へ勝つことしか頭になく突き進み、
その結果、負けて失った大きさを
丸山穂高氏は理解しているとは言えないでしょう。
沖縄などは今なお苦しんでいる人たちも
たくさんいるというのに…。
それと私は
映画『マイウェイ 12,000キロの真実』を
映画館の大きなスクリーンで観たときに
綺麗な戦争って無いんだな…と
想像を絶する世界が待ち構えていることを
私は理解しました。
だから戦争経験者ほど
二度と戦争は起きて欲しくないと
願うわけです。
しかし戦争から学べなかった人たちには、
例えば将棋やチェスのような盤上の戦いや
柔道や剣道、フェンシングのような
綺麗な勝負しかイメージできず、
ピンダロス氏の名言のように
戦争は、その経験なき人々には甘美に
感じられてしまうのでしょう、
丸山穂高氏のように…。
さて『戦争を知らない子供たち』という歌があります。
この歌は戦後25年経た1970年に登場しました。
この歌が出来た背景には
1970年大阪万博の年、
北山修さん作詞・杉田二郎さん作曲の「戦争を知らない子供たち」を
全日本アマチュアフォークシンガーズが歌い、
翌年再結成された『ジローズ』によって歌われた。
中学の頃、親戚の大人達が集まると、
必ず会話は戦争体験の話。
子供心にその傷跡の深さ、苦しみや
悲しみをイメージできました。
それが高校、大学になると、
アメリカの音楽やファッションが入ってきて、
自由な香りで流行に流され生意気になっていくのが
自分でもわかるんです。
大人と話をしても
『もう時代は変わった! そんなのは古いんですよ!』みたいに。
『今の若者は、戦争も知らないくせに生意気言うな!』と
何度も怒鳴られました。
後に北山修とその当時を振り返り議論しながら、
『これからの時代は戦争体験者の話も大事にし、
自分たちの世代以降は戦争のない世の中にしていかなければいけない。
そういう思いを歌に残そう!』
そんな気持ちで出来たのがあの曲です。
優しい歌詞の一つ一つの言葉の深い思いを
いつか理解してもらいたいという願いがこもっています。
この曲を世に送り出した時、
戦争に対する意識や歌詞の解釈の相違から、
『賛成・反対』の意見が飛び交いました。
(以下、省略)
※『熟年ばんざい』より引用(全文は⇒こちら)
丸山穂高氏の発言、
戦争経験者が多くいた時代でしたら
『この青二才が何ほざく!!!』
と、ぶん殴られていたレベルの話です。
さて、ロシアの通信社「レグヌム」が
今回のニュースを伝える際、
『しらふの人は頭で、酔った人は舌で』という
ロシアの有名な諺を引き合いに出したそうですが、
「戦争しないとどうしようもない」というのが
丸山穂高氏の本音なのでしょう。
しかし、この発想が
過激派と何ら変わらない思考というのを
丸山穂高氏は認知しているのでしょうか?
丸山穂高氏は自身の発言について、
過激派と同じ思考だったということに気づいて改心し、
撤回、謝罪をしたのならば受け入れますが、
もし思考は過激派と同じ思考で
今後もあり続けるのでしたら、
発言の撤回や謝罪などで
その場しのぎをするのではなくて、
自分の主張はこの通りです!と言いながら
活動すべきではないでしょうか!?
さて、戦争経験者や戦争の経験を聞いた世代は
二度と戦争を繰り返してはいけないと考え、
戦争の苦しさを知らない世代には戦争は甘美と捉え
その誘惑に惑わされてしまうのでしょう…。
今後、戦争経験者や戦争体験を聞いた世代が
もっと少なくなり、
戦争の苦しさを知らない世代が増えていったとき、
日本や世界は
どういう世の中になってしまうのでしょうか…。
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最後に今回の丸山穂高衆議院議員の問題について、
野党6党派は議員辞職勧告決議案を
衆議院に共同で提出したそうですが、
角栄の言葉24 学生運動と若者
学生運動を繰り広げる
若者たちがいる。
経験が浅くて視野が狭いが
まじめに祖国の先行きを
考え心配している。
若者はあれでいい。
1960年代から70年代にかけ、
日本列島には学生運動の嵐が
吹き荒れていた。
反体制運動に明け暮れる若者たちに対し、
自民党の要職にあった角栄は
一定の理解を示していた。
「女の尻を追い掛け回す連中より
信頼できる。
社会に出て働き、
結婚して所帯を持てば
人生が一筋縄でいかないことを知り、
物事を判断する重心も低くなる」。
人間の「本質」を見抜く
角栄の慧眼である。
※『田中角栄 100の言葉 ~日本人に贈る人生と仕事の心得』より引用
それとジンメル氏の名言から
一般に青年が主張する内容は正しくない。
しかし、青年がそれを主張すること自体は正しい。
(ジンメル)
【解説】
若者が主張する内容には間違っているものも多い。
しかし、若者が自分の意見を
主張することは素晴らしい。
臆せずに自分の意見を主張することは、
民主主義の原点でもある。
(ながれおとや)
※名言ナビより引用(原文⇒こちら)
若者が主張する内容には
経験の浅さや視野の狭さなどから
間違ってしまうことも多いものです。
だから
自分こそ正しい、という考えが、
あらゆる進歩の過程で最も頑強な障害となる。
これほどばかげていて根拠のない考えはない。
(ジョシア・G・ホーランド)
自分の考えこそ正しいと思い込むのではなく、
もっと多くの意見を聞いて
バランス感覚を持った発言をしないと
周囲からは大人の発言とは見られないでしょう。
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