昭和の時代には、
学校の先生やお巡りさん(警察官)、公務員などは、
国民からは聖職者と呼ばれていた時代がありました。
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ここで聖職者とは?
宗教上の信仰や教義研究等を
生活の中心におく者。
あるいは、清潔・高潔である(べき)職業の
従事者を指した比喩表現。
※ピクシブ百科事典より引用
と、書かれています。
では、なぜ、昭和の時代には
聖職者が存在したのか?
いや、存在できたのか?
それは、この一言に尽きると
私は感じています。
よく「何でそんなに頑張ったのか」と聞かれるが、
頑張ったのではなく、
頑張らざるを得なかったのだ。
皆がやっていることを、
自分だけくじけたら笑われるから。
(小野田寛郎氏)
小野田寛郎さんのお名前を聞いても
今の若い人たちにはピンと
こないかもしれませんが、
第二次世界大戦が終わってから29年間も、
まだ戦争が終わっていない戦闘中という認識で
フィリピンのルバング島でサバイバルな生活をし、
そして帰還したお人です。
詳細は⇒ウィキペディア
さて、
人間は苦痛を避け、
快楽に向かう習性があります。
要するに、
意識しながら生活しないと、
楽な方、楽な方へ
知らず、知らずのうちに
行ってしまうわけですね…。
人間は神と悪魔の間に浮遊する。
(パスカル氏)
誰しも生まれながらに
心に鬼がいる。
ある人は鬼と戦い、
他の人は鬼に愛を感じる。
(L.ブロワ氏)
人間、誘惑とも言うべき悪魔の囁きは、
誰にでも起きたりするのではないでしょうか!?
でも自分だけが悪魔の囁きに負けたら、
世間から笑われてしまう。
だから昭和の時代の聖職者は
頑張れたのではないでしょうか?
さて、ディズニーランドの
テーマパーク内には
今もゴミが落ちていないと思いますが
(私が最後に行ったのはかなり昔の話しなので)、
たとえばゴミが1つ落ちていたとしましょう。
『あれっ?誰かがゴミを落としちゃったんだな…』と
思うと思います。
ところが3個も4個もゴミが落ちていたら
どうでしょう?
「あっ!ここはゴミを落としても良い所なんだ」と
思い込む可能性は高くなります。
なのでクリーンキーパーは
2つ目のゴミが落ちる前に、
素早く1つ目のゴミを片付け、
ここはゴミを捨ててはいけない所という
認識をさせるわけです。
でも今の世の中は
残念なことに
性犯罪や犯罪などが多発していて、
みんなやってることじゃん!的に
なってきていて、
本当に、本当に、
ここで国を立て直さないと、
東南アジアや南米、アフリカなどのように
治安の悪い国へ日本も
一気に行きそうで怖いです。
人間にとって最も大切な努力は、
自分の行動の中に
道徳を追求していくことです。
(Albert Einstein氏)
昭和の時代は、
皆が真面目に生きていることを、
自分だけが誘惑に負けたら笑われる的な発想で
秩序が保たれ治安が維持できていましたが、
令和の今は犯罪が多発する国に落ちてしまったため、
Albert Einstein氏が言うように、
自分の行動の中に
道徳を追求していく人を
増やしていくしかないのではないでしょうか?
先ほども書いたように、
人間は苦痛を避け、
快楽へ向かう習性がある中、
良心に問うて、
ブレーキが掛けられるかが鍵となってきますが…。
最後に
最大の悲劇は、
悪人の暴力ではなく、
善人の沈黙である。
沈黙は、暴力の陰に隠れた
同罪者である。
(Martin Luther King氏)
ということで、
私は、もう一度治安の良い国へ
日本が戻るよう声を上げてみました。
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