コロナ禍は終息の気配が

残念ながらまだ見られません。

そして日本はワクチンの獲得競争に

負けたとも言えるでしょう。

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さて、ここで

世界のスピード感を感じさせてくれる、

あるエピソードをご紹介したいと思います。

第6章 大阪人のニューヨーカー

世界旅行中、旅先で殺陣や舞踊などの
パフォーマンスを披露してきた僕だったが、
エンターテインメントの本場、
アメリカで本格的にパフォーマンスをしたいという思いが
日増しに高まってきた。
世間は狭くないし、暇を潰す時間もなかった。

1997年夏、僕は、ニューヨークに旅立った。

ニューヨークには大小何百ものエージェンシーがある。
日本でいうところの芸能プロダクションである。

エージェンシーと一口に言っても、
アメリカの場合、モデルエージェンシーから
キャスティングエージェンシーまで
様々なエージェンシーに分かれている。

エージェンシーのリストが
掲載されている本を見ながら、
僕は、方端から、レジュメ(履歴書)を送った。

全部で120通くらい送って、
数週間待ってはみたものの、
かかってきた電話は0件だった。

しかし、そこであきらめるわけにはいかなかった。

本には“訪問お断り”とか“電話お断り”と
書かれていたけれど、僕はそれを無視して、
1件ずつ回ってみることにした。

日に7~8件、連日のように回った。

エージェンシーだけでなく、
マネージメントオフィスや制作会社など
ありとあらゆるところを回った。

僕はほとんどのところから門前払いにされ、
中にさえ入れてもらえなかった。

「日本人俳優だ」と言うと、
「すみません、受け入れられません」という
具合だった。

中には「レジュメだけは受け取りましょう」と
言ってくれるエージェンシーもあった。

僕は、喜んでビルの上まで上がり、
扉を開けてレジュメを手渡した。

ところが、その途端、レジュメは目の前で
ストンと落とされてしまった。

そして僕が拾おうとしてかがみ込んでいる隙に、
意地悪にも扉はパタンと閉められてしまった。

負けじと、レジュメを扉の下の隙間から
突っ込んでみたが、向こうはそれを
僕の方に押し戻してきた。
笑うに笑えないやりとりだった。

しかし、中には、笑えるエピソードもある。

“エリートモデル”という
エージェンシーを訪ねた時のことだ。

トレンチコートにサングラスという出で立ちで
事務所に入った僕は、受付で、
パッとサングラスを外すと、受付嬢に、
“Are you looking for a Japanese super model?”
「日本人のスーパーモデル、探してる?」と聞いた。

受付嬢は僕の格好に驚き、
ポカーンとした顔をすると、
「ここは女性モデル用のエージェンシーです」
と言った。
次の瞬間、事務所全体から、
大爆笑が湧き起こった。

訪ねるところ訪ねるところ、
門前払いにされたり、意地悪されたりすると、
普通ならへこんでしまう人も多いと思う。

でも僕は全然へこまなかった。

腹は立ったが、へこみはしなかった。

あきらめない限り、
へこむ理由なんてないのだから。

もし同じチャレンジを日本でしたなら、
「どうぞ座って下さい」と言って、
話くらいは聞いてくれるのではないだろうか。

アメリカ人が話を全然聞こうとしないのは、
それだけ、エージェンシーを訪ねてくる俳優志願者が
多いということなのだ。
しかも僕は彼等から見たら勝手にアメリカに来て、
入れてくれ、と頼んでいる外国人だ。

僕は全部で160件ほどのオフィスを回った。

でも、一度決めたことだ。
僕には、160件なんて、
数のうちには入らなかった。

初めて、僕の話を聞いてくれたのは、
何人ものつてを使って、
ようやく辿り着いたスー・スー・スタントンという
マネージメントカンパニーのスー・スーだった。

数えること、161件目のオフィスだった。

訪ねると、僕以外にも5人、
面接に来ていた。

やっと僕の話をまともに聞いてくれる。
相手がちゃんと対応してくれる。
それだけで嬉しかった。

写真やビデオを見せると、
スー・スーは「凄いじゃないの」と言って
気に入ってくれた。

そして「ちょっと待ってて」と言うと、
近くに住んでいるという
映画プロデューサーの女性を呼び出して、
いきなりそのビデオを見せた。

そして、スー・スーは彼女に、
「彼は侍パフォーマンスができて、
チャップリンのモノマネができるのよ。
どう思う?」と言って
早速売り込みを開始した。

あまりの行動の早さに僕は、
目を剥いた。

さらに驚いたのは、
プロデューサーもその場で即答したことだ。

「いいわね、彼。OK、一緒に仕事をしましょう」
<かっこええ。なんてかっこええんや>

これこそニューヨークだ。

続けてスー・スーは、
“What do you want?”
「何が必要なの?」と聞いてきた。

僕は、即座に、
“I want fucking Visa!!!”
「労働ビザがほしいねん!」と答えた。

すると、スー・スーはその場で弁護士に
電話をかけ始めた。

その手際の良さは凄まじかった。

そして相手が出た瞬間、僕に受話器を渡した
“あなたが話しなさい”。

<え!? いきなり?>

驚きながらも直接、その弁護士と話すと、彼が、
「一番大事なのは、スー・スーが君のために
書類に署名(サイン)をしてくれるかどうかだ。
彼女に聞いてみてくれないか」と言った。

アメリカではいかなる場合でも
何かの書類にサインをするのは、
とても重要だ。
慎重にしなければならない。
日本人が印鑑を押すことと同じくらい
重要なことなのだ。

恐る恐るスー・スーに聞いてみた。

その時の彼女のかっこいい回答を、
僕は生涯忘れることはできない。

“Of course,that’s Why I am here.”
「もちろん、だから私はここにいるのよ」

(後略)

※神田瀧夢著『サムライスピリット』より引用

この例からも分かりますように、

物事を進めていくときは

タンタンタタンという感じで進めていく。

これが世界のスピード感では

ないでしょうか?

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このスピード感が日本に出せたかというと

出せてはいなかったように私は感じています。

だからワクチン獲得競争にも日本は

負けてしまったと言えるのでしょう。

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