テニスの全豪オープンが2月2日まで
オーストラリアはメルボルンで
開催されていました。
私は1997年から2008年までの間に
8回(1997,2000,2002~2006、2008)、
現地を訪れ日本選手を応援したものです。
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さて、今日は、
その何回目の時かは忘れてしまいましたが、
あるエピソードを紹介したいと思います。
それは杉山愛選手のダブルスを応援しているときでした。
ある年配の男性が
「彼女は誰だい?」と
話しかけてきたのです。
私は心の中で、一瞬
『えっ?』と
驚いてしまったのです。
それというのも
杉山愛選手はすでにこの時までに、
ダブルスとはいえ、
2つのグランドスラムチャンピオンに
なっていたからです。
なので私は
『彼女は杉山愛と言って、
1999年にブパシ選手と組んで
全米オープンのミックスダブルスチャンピオンになっていて、
2000年にはジュリー・アラール・デキュジス選手と組んで、
女子ダブルスチャンピオンにもなっているんだよ』と言ったら、
その年配の男性は
低いトーンで
『そうなんだ…』と一言だけ残して
去っていったのです。
このとき僕が感じたものは、
テニスは元々シングルスから競技が始まっており、
日本はコート数が少ないため、
コート待ちを減らすために
ダブルスが頻繁に行われているけど、
海外では『昨日テニスをやってきた』というと、
それはシングルスの話しだったという世界は
むかし聞いたことがあったので、
やはり世界から認知されるには、
シングルスで活躍することなんだろうという考えに
私の中では至っています。
さて、2020東京オリンピックに出場する
卓球女子シングルス2枚目の切符は、
石川佳純選手となり、
惜しくも僅差で敗れた平野美宇選手は、
ダブルス要員として
2020東京オリンピックへの出場が決まったわけですが、
平野美宇選手はダブルス出場だけで
満足して欲しくないというのが、
こういう例からの考えだからです。
平野美宇選手は
もっともっと世界から認知されるべき選手の1人と
私は見ているからです。
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さてここからは余談ですが、
それにしても1995年のジャパンオープンから数えると
私財を投じて25年もの間、
自分の出来る範囲で
お金や時間を費やしてきたんだな…。
改めて数えてみてびっくり驚愕!
それと25年もの間に
日本人アスリートの思考の劣化も感じてきていて
今まで生きてきて
私は何をやり遂げた?人生を振り返って
こう言いたいの。見て!
私はあれをやったわ。バカだったかもしれないけど、
私がやったのよ!(映画『トゥルー・ライズ』より)
映画『トゥルー・ライズ』に出てくる
このセリフのような気分でいる自分が今いるのです。
どうして自分が疲れてきたのか
ようやく分かった気がします。
最後は余談でしたが…。
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